2008年7月13日 (日)

『男はなぜ急に女にフラれるのか?』『女はなぜ突然怒り出すのか?』

『男はなぜ急に女にフラれるのか?』『女はなぜ突然怒り出すのか?』姫野友美 角川oneテーマ21

またまたはじめに断っておきますが、僕が最近「急に女にフラれたり」「突然怒られたり」しているせいで、この本を手にしたわけではありません(笑)。うちのチームの新人コピーライターが、何故か2冊とも持っていて(笑)、「お前なんでこんな本読んでんの?」って手に取ってパラパラしてたら、ぐぐっと読みたくなって……具体的に「フラれたり」「怒られたり」はしてないものの、この本が気になったっつうことは、僕の中に「女は突然男をフルものである」とか、「女は突然怒り出すものである」という、「女に対する恐怖」が潜在しているのかもしれんなぁ(笑)。

ってなコトで読み出して、感想。2冊とも、とても面白い本でした。そして、すっごく勉強になりました(笑)。

女性たちが、この本をどう読むかは、感想を聞きたいところですが、男の僕からすれば、「そうだったのかぁ…」というポイントが沢山ありました。以前エントリーした2冊、『男は3語であやつれる』『女は3語であやつれない』という本は、男女関係のコミュニケーションにまつわるハウツー本でしたが、今回の2冊はその背景にある男女間の根本的な差異に言及しています。筆者の姫野友美さんは、「おもいっきりテレビ」なんかのコメンテーターなどをしてる人で、心療内科の医学博士ですね。そもそも脳のつくりやホルモンの作用の違いによって、男と女はまったく別の生き物であるからして、男と女が互いに理解できないのは無理はない。無理はないけれど、少しでもお互いのことを分かれば、この先もっとうまくいく、みたいなことが主題です。

僕が面白いなぁ、と思ったのは「女は溜め込む脳」「男は忘れる脳」というくだり。男にとって「突然」だったり「いきなり」だったりすることも、それは女にとって「突然」でも「いきなり」でもなく、積み重ね→必然なんですね。このことは、熟年離婚でよく語られるけれど、会社でもよくあるじゃないですか。ある日、女子社員が男性上司に「いきなり」キレて、その後はうんともすんとも上司の言うことを聞かなくなること。女性にとってそれは、「いきなり」でも「突然」でもなくて、女性社員の中に溜まっていたものが、危険水域を超えて、完全にあふれ出した状態。もうそうなっちゃうと、男にはどうしようもできなくて、呆然と眺めているしかない。じゃぁ、その状態になるまで、その男性上司がなにもしていなかったかと言うと、そうでもない。その都度、女性社員の相談なんかに乗っていたりしてたのに。男は1回話すことで、「分かってくれた」「解決した」と思って「忘れてしまう」。しかし女は少しづつ不満を溜め続け、ある日…(終)。

つい先日この本を読んでいるとき、会社の後輩から、今度再婚することを聞かされた。数年前に離婚したそうだが、その時はまさに、「いきなり」「突然」別れを切り出されたそうな。「そうなるまで、全く気づかなかったのか?」「ハイ、全く気づきませんでした」「気配も感じなかったの?」「ハイ、びっくりしました」「……。」この2冊の本を、彼にあげたのは言うまでもない。

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2008年6月30日 (月)

赤坂

会社が赤坂に移転して2ヶ月半。田町暮らし10年の僕らには、赤坂という街が楽しくてしょうがない。会社を一歩出れば、夜のネオンに囲まれている環境。夜の通用口から出ると、すぐ左側に素敵なカフェがあって、外人さんがたくさんいて、お酒を飲んでいる。その中に混じって、会社の同僚たちも何人か飲んでいて、誰彼なく「もう帰るの?一緒に飲もうよ」って声がかかり、その輪が大きくなっていく。赤坂の有名な居酒屋さんに行けば、うちの社員で一杯になっていて、「おーっ、お疲れーっ」って感じで盛り上がったり。小さな路地でお店探索していると、やっぱりお店探ししている社員と出会ったり…そう、今会社では、もともと赤坂にあった会社(TBSとか、東北新社とか)の、お昼ゴハンマップが出回っています

仕事のスタイルも、少しづつ変わっていくでしょう。広告会社といえば、夜遅くまで仕事するのが当たり前のようになっていましたが、これからは早めに終わらせて、みんなで遊びに行く、なんてことになるでしょうね。制作でも、夜の打ち合わせを入れない、なんてチームが出てきていますしね。

何か考え事をしたい、アイディアをひねり出したいって時も、ふっと、赤坂の街に出て行けば良い。街にとけ込んで、時代の空気みたいなものを吸いながら発想することが、プラスにならないわけがありません

今はまだ、赤坂という繁華街で浮き足立っている状態なのだけれど、もう少したつと、赤坂という場所にうちの会社がすこしづつなじみ始めることでしょう。そしてそのうち逆に、うちの会社や社員が、赤坂という場所になんらか影響を及ぼし始め、本当の意味で融合が始まる。そうなったとき初めて赤坂に、新しい街の空気や、もっと言えば新しい文化みたいなものが、生まれてくるのかもしれません

最近泣きごとが続いたので、本日は、ちょっと明るい未来を書いてみました

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2008年6月26日 (木)

泣き言、つづく

ようやく、仕事がひとつ完了いたしました。パチパチパチ!スタッフみんなで飲みに行こう!は叶わずに、明朝七時半の新幹線で出張です(涙)うぅぅぅ…起きられるかな?(泣き事③)

うちのチームを去った人を送り、新しく来た人たちを迎える、いわゆる「歓送迎会」を開いていない。どんなに忙しくたって、「歓送迎会」はやらないといかん。人間としていかん、と思う。(泣き事④)。近いうちに、やる(決①)。

近頃ちょっと、思うこと。自分のためだけに仕事している人は、根本的に人を感動させられないのでは、と思う。

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2008年6月22日 (日)

痛恨!カンヌ広告祭に行けず(泣き言)

久々の更新です(ちょっと泣き言入り)(笑)。

ずいぶんと「広告深夜族」を更新できずにおりました。ここんところ2ヶ月近く、毎週末が仕事でつぶれたのが直接的な原因ですね。でも、まったく時間がなかったわけではないんです。書こうと思ったら書けた。ブログって、更新し続けるリズムみたいなものがあって、そのリズムが一度崩れると、なかなか元にもどらない。いわゆるペースが崩れちゃった状態ですね。この2ヶ月間、無茶苦茶忙しかったのだけど、その分面白い仕事も多かったし、本は割りと読んでいたし、赤坂への引越しやら、新しいお店にもちょっと行き、ユーロ2008も開催していたし、「広告深夜族」的ネタは溜まっているのだけれど、立ち直りのきっかけをつかめず、今日に至っている、という感じです(笑)。

それではちょっと、つらつら泣き言など、書いてみますね。

本来であれば今頃、カンヌの浜辺でワイン片手に、世界の美女たちと広告談義をしているはずだったんですぅ…先週の火曜日からカンヌ広告祭に行く予定でしたが、いろいろあって断念いたしました(泣①)。僕は2年に1回、カンヌ広告祭に参加しようと決めていて、実際の仕事を離れて、1週間世界の広告のシャワーを浴びる、みたいなことはいいな、と思っていたわけです。一緒に仕事したことのある、世界の広告クリエイターたちと、夜を徹して広告の話をする、ってのも楽しみにしておりました。

2年に一回というのは、いわゆるサッカーイヤーです。おととしのドイツワールドカップ、今年のユーロ2008など、まぁ、実際の試合は観られなくとも、夜8時ぐらいから始まる試合を、現地の人たちと一緒にテレビ観戦する…地続きで本場のサッカーを体感できるのは、とても楽しいわけです。今回のユーロもたいそう面白い試合が目白押しなのですが、忙しくって予選の1試合をテレビ観戦したのみ(泣②)。ほとんど観れていません。今晩も準々決勝、激強オランダ対ヒディングロシアという因縁めいた試合の予感…なのですが、明日も仕事なので、午前3時半の試合は観れないなぁ。

泣き言、つづく。

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2008年5月19日 (月)

『不機嫌な職場』『ひらがな思考術』

この数週間、なんだか忙しかったぁ…3週間ぶりの更新です。4月末に赤坂へ引っ越して、気分的にも舞い上がって、赤坂だ!ワーイ!なんて新しい店なんかにも行って、大きなプレゼンも何本か抱え、ゴールデンウィークは家族で実家へ帰って、法事行って、入院してる親戚の見舞いに行って、そうそう大腸の内視鏡検診もしたし(痛かったぁ、でも、無事でした)、本を読んだりする時間はあったけれど、ブログまでは書けなかった…って感じです。

『不機嫌な職場』講談社現代新書

まず、本のタイトルがいいですね。そして、サブタイトルが「なぜ社員同士で協力できないのか」。うちの職場は、かなり「上機嫌な職場」な方だと思うし(笑)、「社員同士で協力し合ってる」方だとも思うのだけれど、確かにこのタイトルを見てドキッとしたし、思わず買ってしまった。90年後半以降の成果主義がもたらしたものが、「一人ひとりが利己的で、断絶的で、冷めた関係性が蔓延している」職場であるとするこの本の指摘を、否定できる経営者はいないのではないか。

僕はこの本を、広告クリエイティブという仕事に置き換えて読んだのだけれど、広告クリエイティブという仕事は、もともと専門性が高く、守秘義務が厳しい仕事なんですね。社員同士、もしくはマネージャーとのコミュニケーションを密にしないと、何をやっているのか見えなくなる、つまり「タコツボ化」しやすい職場なんです。そこに「成果主義」が導入されたことで、「タコツボ化」はますます進んだ。「自分なりの結果を出しさえすればいいんでしょう?どうやるかは勝手でしょう?」という、「自分だけ」意識を生んだことは否めないと思う。社員同士挨拶もしないし、それ以前にまず席にいない。会うのは打ち合わせの時だけ、というような状況も生んだ。これだったら、会社辞めても、状況は変わんないじゃん、みたいな気分にもなった。スタッフ同士がアイディアをぶつけ合って、より高度なアイディアに昇華させていく。チーム全体で大きなアイディアを提案することが、僕らの仕事の本質なのに…一部の個人だけにスポットがあたるから、スポットがあたらないスタッフは、不平と不満と不安を持つ…。

変えなきゃね。広告クリエイティブには新しい評価軸が求められている。新しい意識、新しい働き方、新しいマネージメント、新しい組織、新しい育成…いろんなことが、求められている。

『ひらがな思考術』関沢英彦 ポプラ社

引越しの最中に、ある会社の上司の本棚で発見し、「あ、この本読みたかった。くださいよ。」と言ったところ、「アンダーラインが引いてあって、恥ずかしいからダメ」と断られた。でも、後日わざわざ新品をくれたんですー。いい上司、いい職場。

思考するための、いろいろな方法論を紹介してくれていますが、なかでも、「ひらがなで考え、感じ、あらわすことで、見えなかったことが見えてくる」というこの本の主張に、僕ははげしく共感いたしました。

最近会話の中に、カタカナ語(英語)が多すぎやしませんか!と。昔、会話で難しい英語が使われると、「それ、どうゆう意味?」っていちいち聞いていたのですが、最近は、日常会話に英語が多すぎて、もういちいち聞くのも面倒になり、わかったふりして聞き流すことが増えた。助詞や接続詞意外はすべて英語で、「だったらもう、僕のことは気にしなくていいから、全部英語で話してよ!」なんて、僕はよく半泣き状態になっています(笑)。

話が本筋からズレましたが、この「わかったふりして」が非常に危ない、と。英語も、難しい漢字もそうなんですが、なんとなくこういった意味だろうと解釈して思考を進めると、最終的に、なんだか全体がわかんなくなる。みんな「わかったような」気分にはなるが、実は全然わかってなくて、結局なにをしていいかわからない、とかね。

最近は減ったけれど、マーケの企画書も難しい漢字と外来語が多すぎて、意味がつかめない、ってことありました。「意味」よりも、企画書の「密度」を重んじる、みたいな(笑)。

でも、いいこと思いつきますね。「ひらがな」ね。この本が出たのは2005年。日本や日本語がブームになったりしたのも、この時期からでしたっけ?今も続いていますもんね。

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2008年4月28日 (月)

『とける、とろける』『そのノブは心の扉』

『とける、とろける』唯川恵 新潮社

直木賞受賞作『肩ごしの恋人』の著者が、初めて挑戦したエロティックストーリー。新聞広告に著者自身の言葉で「読まれるのが恥ずかしい小説」と書かれていたことで、思わず買ってしまった(笑)。どの短編も、男と女のドロドロした情念の世界が展開され、エロティックというよりもむしろ、「怖い」です。

『そのノブは心の扉』劇団ひとり 文藝春秋

ある意味こちらも、「読まれるのが恥ずかしい」本です(笑)。劇団ひとりが、自分の「自意識過剰な生活」を振り返り、「情けない自分」をさらけ出しています。誰しも多かれ少なかれ、似たような「情けなさ」を抱えながら生きている。でも劇団ひとりに比較すると、自分の「情けなさ」は大したことがないように思えて、また明日から勇気を持って生きていける、そんな気がします(笑)。

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2008年4月14日 (月)

『男は3語であやつれる』『女は3語であやつれない』

はじめに断っておきますが、僕が週末これらの本を一心不乱に熟読していたわけではありませんからね。しかも、決して他人様を「あやつろう」、なんて考えているわけではありませんからね。あしからず(笑)。

『男は3語であやつれる』伊東明著 PHP研究所

結局、男はプライドをくすぐればイチコロ、という本です(笑)。かなり売れた本なので、買った方も多いのではないでしょうか。一応何章かに分かれてはいますが、男の場合はとにかくシンプル。「プライドをくすぐる」「気持ちよくさせる」言葉のオンパレードです。「男をあやつる」言葉。面白いので、羅列してみますね(笑)。

「すごーい」

「頼りになるー」

「貴方の目はごまかせないわ」

「やっぱり○○さんじゃなきゃ」

「大人は違いますね」

「○○さんみたいな人、なかなかいないですよ」

「ドキドキするー」

「大胆ですねー」

「やさしいですね」

「陰で努力してるんですね」

「○○さんなら大丈夫ですよ」

「島耕作みたいですね」

「ありがとう」

女性にまっすぐ目を見られて、こんなコト言われたら、「むははは!もっと言って、もっと言って!」ってのは、僕だけじゃないはずです(笑)。バカなんですね、結局男って。

『女は3語であやつれない』伊東明著 PHP研究所

逆に女性の場合は、事がそんなにシンプルじゃない。物事の捉え方が人によって千差万別だから、「3語ではあやつれない」わけです。でも分からないからって、恐れていてはいけない。そもそも女性と男性では、言葉に対する感受性が違うから、そこを知った上で、いいコミュニケーションをしましょう、という男性向けの本ですね。

●男が戸惑う「恐怖の言葉」

「ねぇ、ちょっと話があるんだけど」

「どうして黙っているの?」

「なんで相談してくれなかったの?」

「誰といたの?」

「最近○○してないよね」

●女性を敵に回す「地雷の言葉」

「女のくせに」

「なんでそんなことに悩んでんだよ」

「そんなの自分で決めろよ」

「だってほら○歳なんだから」

「ほんとバカだな」

「要するに何?」

●これであなたもジェントルマン←(笑)

「今日は楽しかったね」

「ずっとがんばってきたもんね」

「いつでも相談にのるよ」

「オレが悪かったよ」

「素敵だね」

「ありがとう」

女性から言われて戸惑う(どうゆう意味だろう?と考えさせる)、「恐怖の言葉」って確かにあるし、何気なく言ったらいきなり怒られる「地雷の言葉」もあるもんなぁ(苦笑)。そもそもは、性差によるコミュニケーションの違いがベースになっていて、女性は「共感」、男性は「プライド」。でも、どっちも最後の言葉は、「ありがとう」という感謝の言葉であるあたりが、美しいですな。

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2008年4月 7日 (月)

「アートフェア東京2008」     「UBSアートコレクション」

「アートフェア東京2008」東京国際フォーラム(4月4日~6日)

うちの会社の部下に、こんなような活動をしている人間がいて、いわゆる「現代アート」に強いのでありますが、その彼から、最近出たブルータスの「すいすい理解る現代アート」という特集号がすごく売れた、という話を聞いた。今、「現代アート」はけっこう盛り上がっているから、「少しは知っとかなくちゃ」というミーハー連中に、「すいすい理解る」というキャッチフレーズが効いたようですよ、と彼。実は僕もこのブルータスを買っていて(笑)、買ったことをなかなか切り出せませんでした。世の中には、わからないんだけど、わからなくていいや、と思えることがいくつかあって、「現代アート」はその筆頭ではないか、と僕は思っていました(他には、ワインの銘柄などかな)。でも、今日東京国際フォーラムで開かれた「アートフェア2008」に行って、まずはその盛況ぶりに驚いたんですが、それよりなにより驚いたのは、「現代アート」を観に来る女の子は皆カワイイ!!というコト(笑)。しかも、「美大系不思議ちゃん美人」だけじゃなく、一般的にカワイイ子が多かった!これはくる!っていうか、「現代アート」素晴らしい!万歳!

話はちょっと横道にそれましたが、昔は会社の先輩から、「広告とアートは違う」ということを盛んに言われました。戦略があって、その戦略がカタチになったものが広告で、アーティストの魂のほとばしりがアート、という区分だったと思います。でも今では、広告こそ「人のココロを動かす」ことが大命題になっているし、アートも充分に戦略的で商業的であるし、まぁ、そこいら辺の区分けみたいなものは、全くと言っていいほど無くなっちゃってますね。逆に言うと、僕らのような広告の連中と、アーティストとのコラボレーションも、これまで以上に簡単にできるわけで、つまりは、上手に仕事をつくる、プロデュースするってことが大事になってきますね。もちろんそういったことは、アートに関してだけじゃなくって、映画や音楽や芸能界などにも精通した「目利き=プロデューサー」が必要って話ですね。

「UBSアートコレクション」六本木ヒルズ森美術館(2月2日~4月6日)

1000点を超えるUBSのコレクションの中から、今回は約140点を選んで展示。1950年代以降の有名な現代アートのコレクションです。UBSってのは、もともとはスイスの銀行が合併してできた会社で、M&Aを繰り返しているうちに、今のような巨大な投資金融会社になったということです。その際、企業の買収などによって手に入ったアート作品が、このコレクションのベースになっているといいます。最近ではUBSのアジア展開に沿って、中国や日本のアーティストの作品も集めているようで、今回も、宮本隆司、杉本博司、アラーキー、畠山直哉、陳界仁、ツアオフェイなどの作品が展示されていました。

企業が「現代アート」を集める(投資目的だけじゃなく)、というだけでもカッコいいなぁって感じなのですが、展示を見終わった後に、ルービックキューブをくれたりするんですね(さすがに個数は限定だったけれど、黒と赤だけのロゴつきの)。「あ、気が利いてる」って感じ。僕が投資会社にお世話になることは、この先きっとないだろうけれど、この現代アートの体験(有料1500円)とルービックキューブをもらったことで、UBSという会社が確実に好きになりましたね。

そして、最近買った↓アートブームな本たち。ミーハー(笑)。

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2008年3月31日 (月)

お花見散歩

先週末、今週末と、阿佐ヶ谷周辺をあちこち散歩しました。

先週土曜日は、阿佐ヶ谷を出て善福寺川緑地から大宮八幡、永福町方面へ。先週日曜日は、荻窪から西荻窪を経由して北へ向かい、善福寺公園、井草八幡宮へ。

今週土曜日は、阿佐ヶ谷から南へ向かい、浜田山、高井戸を経由して神田川を西へ上り、井の頭公園へ。そして今日は一路東へ。中野通りから哲学堂を経由、妙法寺川沿いを、中井、東中野方面へと。

何でこんな歩いてるかと言うと、桜の咲く場所へ向かって、散歩をしているんですね。どんだけ桜が好きなんだ、と(笑)。

先週末、今週末と結構天気がよくって(今日の夕方から降ってきたけれど)、絶好のお花見散歩日和でしたね。距離にしてどのぐらい歩いただろう?毎日3~4時間は歩いていたかなぁ。昨晩は、寝てる最中に「こむら返り」したぐらいです(笑)。最近我が家では、僕の肥満が解決すべき重大な問題になっていて、強制的に歩かされた側面もあります(苦笑)。

途中歩いていると、パッと沈丁花の香りに包まれることがあります。結構香りが強いから、わぁいい香りって単純に思う。でも沈丁花って、どこに咲いているのかわからないことが多いんです。香りのわりに、花は地味だったり、背も高くないし。白くて小さなかたまりが、ぽわんぽわんと咲いている。

桜はどこもキレイでした。でも一番は、善福寺川沿いの桜かなぁ。川に覆いかぶさるような形で、枝ぶりのいい木が重なっている。川から住宅までの間が、緑地(公園)になっているので、景観も素晴らしい。井の頭公園の桜の木も素敵だけど、お花見客が多すぎて、ちょっと花を観るというより、お客を観るような感じになってしまう。井の頭公園は、週末より平日のほうがいいですね。

今日の雨で花は散り始めるでしょうが、来週前半までは持ちそうですね。来週は、都心部の夜桜見物にでも行こうかな。

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2008年3月24日 (月)

『サッカー番長』『4-2-3-1』

『サッカー番長 ヨイショ記事にはもう飽き飽きだ』杉山茂樹 飛鳥新社

サッカーが世界で最も愛されているスポーツなのは、知識があるなしに関わらず、誰もがサッカーのことを「語れる」から。「サッカー日本代表岡田ジャパン」なんつったって、しょせんサッカーなんだから、「俺はこう思う」って言っていいわけで、日本のヘタレサッカージャーナリズムでは言えない、言わないことも、「サッカー馬鹿」として言っちゃうよ、という本です。

かなり過激な内容まで含んでいて、オシム後に「彼しかいない」と言われて生まれた「岡田ジャパン」に対する不安を、ストレートに書いています。他にも、「サッカー馬鹿」としてラインナップされている、松木安太郎、原博美、宮本恒靖、岡野雅行、元毎日新聞の荒井義行各氏などのインタビューが素晴らしい。この「サッカー馬鹿」たちが、何を考えサッカーに打ち込んでいるかを、何でも美談にしてしまう日本のスポーツジャーナリズムとは違った視点で書いています。

以前杉山茂樹さんから、日本サッカーについての話を聞いたことがあって、その時彼は、日本のサッカーがもっと強くなるために、協会やJリーグや監督や選手のレベル向上以外に、日本のサッカーファンやサポーター、そしてサッカージャーナリズムがもっと勉強して、代表やJリーグのクラブに対して、強くモノを言わなければいけない。地上波で観られるガチンコのサッカー番組がないのはおかしい!と熱く語ってくれました。『サッカー番長』の中で杉山氏は、「かぶりもの」して自分をキャラ化していますが(笑)、ある種照れ隠しなんでしょうが、日本サッカーに対する想いは、本当に熱い人だと思いました。

『4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する』杉山茂樹著 光文社新書

「サッカー馬鹿」と対をなすカタチで同時期に出版された、こちらはサッカーを「知性」で語る本。なぜ杉山氏が、例えば岡田ジャパンに対して厳しい意見を言えるか、そのバックボーンになっているサッカーの戦術を語っている本です。

杉山氏はこれまで17年間にわたり、ヨーロッパをはじめとする世界各国でサッカー観戦をしてきた。そして観戦だけじゃなく、試合後、監督や選手からいろいろな話を聞くうちに、ひとつの結論に達する。それが、「サッカーは布陣でするもの」という考え。もちろん、チームを構成する選手の個性と、監督が繰り出す戦術との掛け算が大切なのは言うまでもないけれど、その時代その時代で新しく編み出され、進化していくサッカーの戦術というものを、最前線で理解しているかどうかが大切なのだ。日本という国はサッカーの僻地であるから、絶えずヨーロッパなどのサッカー先進地域に目を配っている必要がある、と語っています。

サッカーを観る、語る上で、この本は実に参考になります。3バックと4バックぐらいしかわからないようじゃダメですね。4-2-3-1と3-4-1-2の差を、ちゃんと語れるぐらいじゃなきゃ、サッカー好きCDを名のれませんね。

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2008年3月21日 (金)

雨の赤坂、乃木坂、六本木

相当どーでもいい話。

昨日、赤坂である仕事の編集、MA作業がありました。深夜1時半ごろ、作業のほうはひと段落したので、僕はひとり帰ろうとスタジオを後にしました。外は雨。せっかく最近暖かくなってきていたのに…と思いつつ、赤坂小学校付近でタクシーを拾おうとしたところ、路上に多くの人々。みんなタクシー待ちなんです。そういえば、明日はお休みだし。うーん、みんな赤坂方面から、歩いてきている。赤坂じゃ拾えないんだな、じゃぁ乃木坂方面へと歩み始めたのが、運の尽き。みんな同じような考えで、乃木坂方面へゾロゾロ歩いている。コレじゃ捕まえられないな。でもさすがにもう、時計は2時をまわっているし、少しは来るだろうタクシー、と思いながらずっと歩いたものの、タクシーは全く来ない。こんな丑三つ時に青山墓地へ突入するのも怖いな、と思い、六本木方面へ向かったところ、コレがまた判断ミスで、2時半の六本木はすんごいことになっている。昼かよ、と思うぐらいの人出なんです。酔った若者で溢れかえってる。「景気いいのかなぁ」なんて、おじさんはバブルの頃を思い出しましたよ。タクシーが来る気配はゼロ。雨で寒いし、これはどこかのお店に入るしかないなと思い、おいしい日本酒でも飲めるとこがいいな、なんて深夜2時半に所望したことが間違いでした。そんな店が開いてるわけがない。またもや数十分徘徊を続け、3時ぐらいに1軒の焼き鳥屋さんに入った。店は小ぎれいで、焼き鳥もうまかったのだけれど(高かったです)、他のお客さんがヤバかった。僕の左隣りにはキャバクラを引けたおねー様らしき二人連れ。この二人が吸うタバコの煙がすごいんだな。二人とも、チェーンスモーカーなんですね。言おうかなって思ったけれど、まぁ飲み屋でタバコ吸うのは自由だし、まぁ静かに本を読んでおりました。そしたら、右隣りが広告業界らしき二人連れ。盗み聞いたわけじゃないけれど、なんだか自分とも関係ありそうな話をしてる。なんだかなぁ、とお店を一刻も早く出たかったのだけれど、タクシーはまだきっとつかまらないだろうし。4時ぐらいまではここに居ようと決めて、もう一杯お酒を頼んだところ、ガラガラっと扉が開いて、なんだか見たことのある人が入ってきた。しかも女性連れで。うわぁって思って、下向いていたから、僕のことは気づかなかったみたい。でもあれですね。六本木の深夜3時は、いまだにキャバクラおねー様と業界人なんですね。4時に店を出て、ようやくタクシー拾って我が家に帰ったのが、5時近かったです。話のオチ、ですか?ないです。

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2008年3月17日 (月)

『スティーブ・ジョブズ』『明日の広告』

『スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブディレクターの軌跡』林信行 アスキー

スティーブジョブズは偉大なクリエイティブディレクターである。

彼は単なる技術者でもビジネスマンでもプレゼンテーターでもない。後書きはこうにある。「いつも新しい世界を築いてきた偉大なるディレクターであり、プロデューサーであるスティーブジョブズ。彼の強さは、優秀な人材を一堂に集め、そこから無限大の化学反応を引き起こす触媒(カタリスト)としての能力の高さである。そして、その化学反応を誘発するのが、彼のウィットに富み、洞察の深い(言葉)なのではないか…。」彼は、自分が一番素敵だと思える未来を、自分の言葉で語る。他人からすれば、その未来は実現不可能に思えること。しかし、ジョブズは諦めない。前述のような優秀な人材を集め、魔法の言葉を駆使して、彼らから最大限の力を引き出し、不可能と思われた未来を現実にしていく。

スタンフォード大学の卒業生へ向けてのジョブズのスピーチに(今では名スピーチと呼ばれている)、こういう一節がある。「今日が人生最後の日だとして、今日これからやりたいことは本当にやりたいことか?もし、何日もの間、(NO)という答えが続いたときは、何かを変えなければならない」

クリエイティブディレクターは、人のココロを動かす言葉を持たなければいけない。

『明日の広告』 佐藤尚之 アスキー新書

コミュニケーションの環境変化、求められる新しいコミュニケーションデザイン、その組み立てと方法論、プランニングをリードするコミュニケーションディレクターのありかた、などについて言及している。サトナオさん本人が言っている通り、もうあちこちで語られ尽くしている内容なので、特に目新しいことはないけれど、「総集編」として読んでおく必要あり。あちこちのクライアントから、「読みましたか?」と聞かれる状態がいまだに続いています。現状、「宣伝部長の必携書」化してます。広告会社社員として、読んでないとヤバい感じ。

僕が会社で言っていること、このブログでも書いていること、そういったことが本になってまとまっていて、『明日の広告』というタイトルも、このブログのサブタイトル「新しい朝がきた~♪」とも微妙にかぶっていて(笑)、自分が書いた本でもないのに、何か不思議な感覚を覚えました。でもサトナオさんは凄いです。たくさん仕事している上に、ゴハンもちゃんと食べていて、本まで書いちゃう。

優秀なコミュニケーションディレクターが何人いるか、それが広告会社の命運を左右する。

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2008年3月 9日 (日)

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』森真一 ちくまプリマー新書

部下に対して僕は、よっぽどのことがない限り怒ったりしない。それは直すべき点を、部下が自分自身で気づき、自ら改善しようとしない限り、上司が怒っても根本的に何の意味もない、と考えているからだ。だから、気づきにつながるような言葉をかけることは、たまにあるけれど…というか、日々の仕事の中で、「怒る」「叱る」に繋がることがそもそも少ないし、お世辞でもおべんちゃらでもなく、部下はみんな能力が高く、前向きに仕事に向き合ってくれている、と感じているから、「怒る」「叱る」必要があまりなかったのだ。しかしこの本を読むと、もしかしたら僕はこれまで「怒る」「叱る」ということを、時代の空気の中で、無意識のうちに避けていたのではないか、と思えてくる。

本当にその人のことを思い、その人の将来に良かれと思ってかける言葉が、時にその人を傷つけてしまうことがある。しかしその人を本当に思っているのであれば、傷は時とともに癒され、その人の心に何かを残すはずだ。この本で言う、「やさしい厳しさ」である。

しかし今の日本には、こういった「やさしい厳しさ」とは違う、「過剰なやさしさ」が蔓延しているという。

「怒る」「叱る」「注意する」ことで、相手を傷つけることを恐れ、あえて何も口にしない。その場の仲間関係を楽しく保つことが、何より優先されるから、「KY」(空気をよむ)ことだけが大切になってくる。「私、○○が好きかもー」という、自分の意思なのに語尾を曖昧に終わらせる奇妙な文章も(今ではそれほど奇妙に感じないが)、相手との決定的な対立を避けるために考え出せれたものらしい。グループの中に「キャラ」をつくって、安定的な関係性をつくるのも、誰もが傷つかないための知恵だと言う。

この本では、関係性を楽しく保つための、こういった「人を傷つけないやさしさ」が悪い、と決め付けているわけではない。時代とともに社会の価値観は変化し、人間の関係性も変わっていく。どんどんやさしい時代は進んでいくのであるが、しかし、表面的に人を傷つけたくないという、あまりにも「過剰なやさしさ」が、人間の「本質的なやさしさ」を奪ってしまう「こわさ」に、着目しているのだ。

場の空気が悪くなっても、言わなきゃいけない時は、言わなきゃなぁ。摩擦がないからいい関係、ってわけじゃないしね。

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2008年3月 8日 (土)

阿佐ヶ谷「鳥○」

阿佐ヶ谷の「鳥○」(あえて伏字にさせてもらいます)は素晴らしいお店です。阿佐ヶ谷に住んで10年以上になるけれど、こんなにいいお店なら、もっと早く行けばよかったと。引っ越した当時に教えてもらったんだけど、いつも休業しているイメージがあって、なかなか暖簾をくぐれなかった。実際ここ2年ぐらいは、ご主人が病気で店を休んでいたことも多かったといいます。開店して35年以上たっていて、開店した当時は、阿佐ヶ谷の駅が高架の工事中で、もっと高円寺側に改札口があった、と教えてくれました。間口が一軒ぐらいの狭い店で、カウンターが7~8席。奥に小上がりがあるけれど、全体でも15人ぐらい入ればいっぱいかなぁ。その当時は、阿佐ヶ谷の飲み屋は多くは間口が一間ぐらいで、戦後のバラック建ての面影が残っていたといいます。

「鳥○」の焼き鳥は、なかなか他では食べられません。僕の好みで言えば、ゆずつくね、にらつくね、砂肝、皮、血肝、手羽先、肉ピーマンあたりかな。他にもいろいろなおつまみがあって、それがいちいちおいしい。お酒は、熱燗、冷ともに銘柄は一種類。趣味で言えば、純米酒や純米吟醸なんかも置いて欲しいんだけど、長い年月、その一種類でこと足りていたのでしょう。新参者の僕が何か言うべきところじゃない。他に樽酒、ワインや焼酎もある。ぐい飲みのような器にお酒を注いでくれるんだけど、ご主人のその注ぎっぷりが神業。お酒がぐい飲みからはみ出している状態(笑)。表面張力なんてものを超えた、神秘の世界ですな。口をぐい飲みに近づけて飲む以外に、方法はないんです。

そして、この「鳥○」が僕にとって大事なお店になったのは、昔うちの会社のクリエイティブの大先輩たちのたまり場だったからなんです。ご主人が懐かしそうに語ってくれたのですが、もう20数年前、会社の大先輩たちが、遅ーい時間に大勢で来たそうです。けっこう飲んで来ているらしく、最初からハイテンション。いろいろ面白い話をする人たちで、最初はどんな職業の人たちか、想像できなかったと言います。カラオケが流行りだした時代で、店が引けてから、ご主人も大先輩たちに誘われて、他の店にカラオケを歌いに行ったり、何故か六本木まで連れて行かれたこともある、とおっしゃっていました。

その先輩たちの名前を聞くと、僕が入社した当時に役員などをしていた方々ばかり。ご主人から聞く大先輩たちの話は、その当時の会社やクリエイティブの様子がいきいきと感じられて、なんだか嬉しくなりました。僕が入社した20数年前、今で言うOJT先のCDだった方がその中心人物で、もう10年ほど前に亡くなられましたが、若いクリエイティブを連れて、よく飲みに来ていたといいます。

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2008年2月18日 (月)

『セレンディピティ』

『セレンディピティ』 宮永博史 祥伝社

「偶然をとらえて、幸福にかえる力」を「セレンディピティ」と言います。

「広辞苑には、次のような説明があります。(セレンディピティとは)おとぎ話『セロンディップ(セイロン)の3王子』の主人公が持っていた、思わぬものを偶然に発見する力。幸運を招きよせる力。」

もともとは、技術開発や研究開発の現場で使われてきた言葉のようですが、ここへきて、それ以外のビジネスの場でも使われるようになってきた。僕なんかが思うに、クリエイティブディレクションとは、まさにこの「セレンディピティ」をどう掴むかに尽きるな、と思うわけです。タイトルを読むだけで内容は想像できると思うので、関係ありそうなタイトルを、ちょっと長くなりますが、列挙してみますね。

 失敗のあとからやってくる「セレンディピティ」

 地味な作業を来る日も来る日も続ける

 小さな変化を見逃さない

 「たまたま」の大切さ

 セレンディピティは、たまにやってくる気まぐれな小人さん

 幸運はみんなのところに同じように降り注ぐ

 当たり前のことを当たり前に実行する

 「無関係なもの」を関連づけてみる

 異分野のプロを集めろ

 「素人発想」プラス「玄人実行」が有効

 「こんなことができたらいいな」から始める

 「想定外」のことを考えていることがはるかに有効

 「見えざる顧客」を見つけたものだけが生き残る

 他の人には見えない宝物に気づく人

 「邪道」が暗礁に乗り上げた研究を救う

 偶然のひらめきをモノにする翻訳力

 誰かが見つけてくれるのをじっと待つ宝物

 毎月20ジャンル、20冊の読書

 コミュニケーション能力を磨くロジカルシンキング

 予測するということは、変化に気づくということ

 社員の絆が、組織のセレンディピティを生み出す  

僕らクリエイティブディレクターは、お得意先から大きな課題を与えられ、それを解決するために、各方面の専門のスタッフを集めます。いまどき、CM1本で解決される課題なんて、少ないですもんね。会議では、それぞれの専門性のもと、いろいろな角度から、たくさんのソリューションが提案されます。提案のひとつひとつは、まだまだ可能性の芽だったり、なにか少し物足りない感じだったり、微妙に芯をはずしていたりします。もちろん、煮ても焼いても食えないアイディアもある。そこに集まる有象無象のアイディアを組み合わせ、融合させ、化学反応を繰り返しながら、「最終的な成功の物語」をつくっていく。クリエイティブディレクターというと、何となくセンスが求められて、感覚的なことだけ言っているイメージがあるかもしれませんが、まったくもって逆。全スタッフが納得するような、論理的にも筋の通ったことが言えなければ勤まらないし、ファシリテーション能力も求められる。そして、この本で言う「セレンディピティ」が、とても重要なんです。

ものより、ものを見る目。

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2008年2月 4日 (月)

『かもめ食堂』『めがね』

DVD『かもめ食堂』 荻上直子監督(2006年作品)

主演の小林聡美さんが、とても素敵な映画でした。ヘルシンキに旅して、そこに「食堂」を開く日本人女性のお話。いわゆる、「女性ひとり旅もの」ですね。いろいろな女性たちが、その「食堂」を訪れてくる。特に何かが起きるわけでもなく、淡々とした日常が続いていくだけ。事件といえるのは、夫との別れ話でお酒に溺れる女性をみんなで助けるとか、店の前の主人が、忘れ物を取りに忍び込んでくるぐらい、っていうか、あまり大きな事件が起きると、「女性ひとり旅もの」は成立しない。サスペンスものになっちゃう(笑)。

原作は群ようこさん。共演は片桐はいりさんと、もたいまさこさん。「やっぱり猫が好き」的なものに、ヘルシンキの空気と言葉が混ざりこんで、おいしそうな料理シーンも独特で、全体として新しい世界観、空気感を持った映画になっています。

小林聡美さんは、自分のセリフの言い終わりに表情を入れてくる女優さんで、そこが彼女の上手さでもあるわけですが、僕はそこがやや苦手で、女優としてもある「軽さ」を感じさせていたように思います。『かもめ食堂』では、そういった(やや過剰な)表情を無くしたせいで、すごく堂々とした女優さんに感じられました。

DVD『めがね』 荻上直子監督(2007年作品)

監督、主演が『かもめ食堂』と同じコンビによる、これまた「女性ひとり旅もの」。訪れる人が極端に少ない南の島に旅して、そこに住む人たちや、島の景色や空気に、次第にココロ癒されていくというお話。癒される、じゃないですね。この映画の場合、「たそがれる」でしたね。この島が好きな人たちは、人生を「たそがれる」ために、この島を訪れる。一日中何もせず、ただ「たそがれる」ことが旅の目的。主人公は、最初、それを理解できずに戸惑うわけですが、時がたち、やがて自分も「たそがれ」仲間に入っていく。

『かもめ食堂』でも『めがね』でも、「女性たちが、何故ここへ来たのか」は一切語られない。きっと、何かに疲れ、傷つき、悲しみ…そういったことがあっただろうことは確かなんだけど、多くを語らない。実際、ひとり旅をする女性たちは、あまり突っ込んだ話はしないらしいんですね。仲良くなれば別だろうけれど、最初は、ひとり旅の理由なんて語らない。お互いを、「さんづけ」で呼び合って、ちょっと距離のある感じで。そういったリアリティが、映画にも上手に出ています。

タイトルの「めがね」が、頑張って疲れちゃった女性たちを語る小道具になっているのですが、さすがにちょっとわかりやす過ぎるような気がしましたが…そのへんを差し引いても、いい映画だと思いました。

でもさぁ、女性はいいよね。南の島やら温泉やらヘルシンキやらがあってさ。あ、おっさんたちにも、居酒屋があった!

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2008年2月 3日 (日)

『四畳半神話体系』『ホルモー六景』

『四畳半神話体系』森見登美彦著 太田出版

ちょっとした決断によって、人生は大きく左右される、か?否。どんな決断をしようが、案外と、同じような人生を送るんじゃないの(笑)、というお話。(以下、ネタバレ注意→)多くは語りませんが、第3章まで読んで、「なんだまた同じかよ」と思い、「もういいよ」と第4章を諦めることで、多くの読者が大きな後悔をしていることでしょう。騙されたと思って最後まで読むと、意外にコクのあるお話に遭遇できます。森美登美彦氏が繰り出す「小技」のファンとして、この本かなり好きです。 

森見登美彦氏はブログまで面白い。客観的な立場で、「森美氏はこう言った。こう感じている。」などと記述しているが、本人であることは明白(笑)。http://d.hatena.ne.jp/Tomio/

『ホルモー六景』万城目学著 角川書店

万城目(まきめ)学氏のヒット小説『鴨川ホルモー』のスピンオフストーリー。何百年も伝わる「ホルモー」という謎の行事をめぐる、荒唐無稽なお話なんだけれど、よくできたラブストーリーだったりもして、僕は単純に楽しめました。(以下、ネタバレ注意→)5話目かな。本能寺の変に遭遇する若い武士と、イケてない女学生との時空を超えたラブストーリーには、ちょっと泣けましたし。玉木宏主演のテレビドラマ『鹿男あおによし』も、万城目氏の作品(直木賞候補になったっけ?)ですね。

2作品とも、京都を舞台にした大学生のお話です。どちらもファンタジー小説と呼ばれる、実際には有り得ない、ある種「アホらしい」お話。でも、京都を舞台にすることで、この「アホらしい」お話も、なにか深みのある、重みがある小説に感じられるから不思議です。「大量の黒い蛾の大群が、糺の森(ただすのもり)あたりから飛来する」から、深い話になるのであって、「代々木上原あたりから飛来した」りすると、ちょっとおしゃれになっちゃったり(笑)、蛾の色もシロかったり(わぁ、キレイ)。

こたつで日本酒などをやりつつ、(笑)つつ、ページをめくりつつ、「アホらし」とつぶやく幸せ。外は雪だし。

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2008年2月 2日 (土)

『センセイの鞄』『人は思い出にのみ嫉妬する』

『センセイの鞄』川上弘美 平凡社

居酒屋で出会った、高校時代のセンセイに恋する物語。WOWWOWのドラマにもなった川上弘美のヒット作です。主人公は今で言う、「おひとりさま」を楽しむ、恋にはちょっと不器用な、40歳を目前にした女性。お酒の飲み方やつまみの趣味が似てる、そんなところから、なんとなくセンセイのことが好きになっていく。その恋は淡々としていて、若者の恋のように焦るわけでもなく、ゆったり静かに深まっていく。亡くなった奥さんに対するセンセイの思いまで、大切にしようとする主人公。逆に、自分の人生が残り少ないことで、主人公を悲しませるのではないかと、心配するセンセイ。今、目の前にいる相手のことだけじゃなく、相手の過去や未来をも大切にしようとする、そんな大人の素敵な恋が描かれています。

『人は思い出にのみ嫉妬する』辻仁成 光文社

一方こちらの小説で描かれているのは、人を愛するが故に、その人の過去(他の人との思い出)に嫉妬してしまう、ある意味非常に子供っぽい恋愛。実際にあった知人の話を脚色して書いた、と著者があとがきで語っています。ドロドロの4角関係の結末は、自殺1名、自殺未遂1名、サナトリウム療養1名、というかなり悲惨なものです。「人を好きになるのは、その人の思い出になりたいからよ。自分の魂を相手の心の中に預けるということは、つまり、率先して、思い出になる、ということでしょ。その人のいい思い出になることができれば、人は永遠を生きることができる。たとえ早くに死んだとしても」この言葉は、好きな人を残して自殺しちゃう女性の言葉。一見理屈が通っているようで、実はとても自分勝手な考え。勝手に思い出を押し付けられて、残された人はどうなる?『センセイの鞄』のふたりを見習いなさい、と突っ込んだ広告深夜族であった。

「思い出は厄介だが、人間が死ぬまで持ち続けることの出来る宝物である」

思い出が宝物になるかどうかは、その人たち次第。

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2008年1月23日 (水)

ほのぼのと、年賀状などを整理して

先週末、今年もらった年賀状の整理をしました。会社に届いた分と自宅分を一緒にして、住所が変わったものがあれば、住所録を訂正して。僕はそんなにまめなほうじゃないけれど、毎年、年の瀬になると、今年もらった年賀状はどこいった?とか騒ぎになるので、暇なときにやっておこうかな、と。

ここ数年、変形の年賀状が目に付きましたが、今年はそんなに多くなかったような気がします。変形の年賀状にも、みんな飽きちゃったですかね。保存のこと考えると、定型のほうが整理しやすいけれど、中にはビックリするような面白い変形モノもあって(変形モノを出すのは、デザイナーが多いかな)、それはそれで楽しいです。

昨年末、日本郵政が「年賀状は、贈り物だと思う」というキャンペーンをやっていました。年賀状を「送る」ということは、その人の気持ちを「贈る」ということ。PCメールでの味気ないコミュニケーションが主流の時代に、年賀はがきに「手書きの一言や、簡単なイラストを加えて贈る」ことで、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちを少し動かす。年賀状が持っている、小さいけれど、人間味のある、あったかい価値を再発見してほしい、というキャンペーン。CMを見ていて、僕は素直に「いいなぁ」と思いました。

年賀状を書く場合、住所はパソコンとプリンターにお任せだし、賀状のデザインも今は印刷が普通でしょう。つまり直筆は、「手書きの一言」だけなんです。そしていつも僕は、この「手書きの一言」を書くのに、結構苦労します。1年に1回、年賀状でしかやり取りのない人には、「ごぶさたしています」なんて、当たり障りのないこと書いたりしてね。いつも会っている人には、その一言がパッと浮かぶケースと、(素敵な一言を書こうと頑張りすぎて)、なかなか思い浮かばないケースと、両方ありますね。

うちの会社の先輩に、年賀状に書くこの「一言」が、とても上手な人がいます。毎年毎年、その人の「一言」は、僕をうれしい気持ちにさせてくれる。割とストレートな、僕に対する「期待の言葉」を書いてくれる。それは、とてもとても短い言葉。

と、ここまで書いて、ふと思ったこと。短い一言だからって、パッと浮かんだ言葉を書いているだろうと思っていたけれど、もしかしたら、その一言に結構時間をかけて考えているのかもしれない、と。

「贈り物」であるということは、それをあげる相手を、どれだけ喜ばせるか、ということ。それにかける時間や手間を惜しまず、自分ができるだけのことをする。その、相手を喜ばせようとする努力が、人の気持ちを動かす。年賀状に書く一言も、単純作業的に次から次へと書き続けるだけじゃ、なかなか人のココロを動かさないかもな、と。来年の年賀状は、もう少し時間をかけて書いてみようかなと、そんなことを考えました。

話はちょっと変わるけれど、昨年、後輩の結婚式に出た時のこと。僕は時間がなくて、コンビニでご祝儀袋を買った。そしたら、一緒に結婚式に出た会社の同僚二人が、わざわざ、ご祝儀袋を、銀座まで買いに行ってたんですね。それはそれは、とても素敵なご祝儀袋。

「贈り物」をあげる、ということ。

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2008年1月20日 (日)

『ひとりで、居酒屋の旅へ』

『ひとりで、居酒屋の旅へ』太田和彦 晶文社

資生堂のアートディレクターだった太田さんの居酒屋本。東京の名居酒屋の紹介だけでなく、自分が生活してきた町や、日本全国のいろんな旅について語っています。カバーに、こんなコピーが。

  町を歩こう。町にはいろんなものがある。

  居酒屋に入ろう。うまい酒と肴が待っている。

  旅に出よう。ひとり旅だ。

  そうして、居酒屋に入ろう。

  至福のときの、はじまり、はじまり。

先週、夜の中野の町をひとりで歩いた。中野は、僕が住んでいる阿佐ヶ谷から新宿寄り、二つ先の駅。いわば地元と言っていい。僕が大学生の時は、高田馬場、新宿、中野、高円寺あたりで遊び呆けていたし、サンプラザやブロードウェイにも何度か行っているし、娘が通っていた幼稚園が中野にあったから、毎朝送っていってた。自分とは、割となじみの深い町だと思ってた。ところが夜の中野が、あんなにディープな(楽しそうな)町だったとは!知らなかったぁ…なんて、もったいない。

最近こういうことが多い。

京都…以前、京都には親戚がいて、何度か案内されて行ったんですね。お寺さんやら祇園やらお茶屋さんやら。でもね、何を見ても、「ふーん、京都やね」ってなもんで、あまりココロ動かなかった。今から思うと、自分がまだ京都を欲していなかった。ところが、昨年何冊か小説を読んで、一気に京都にハマり、「京都って、すごい…」なんて思い始めた時、親戚は鎌倉に引っ越していて…ああ、もったいない。

神楽坂…大学生のとき2年間住んでいたんですよ。新潮社の裏のあたり。しかも、神楽坂の途中にある洋食屋さんで、アルバイトまでしてた。でもね、その後、いろいろな本で神楽坂の特集なんかを見て、風情のあるいい町だなぁって。でも、自分が住んでいたのに、神楽坂のことに何も知らないことに気づいたんです。もちろん神楽坂ならすぐ行けるから、その後、石畳の小道なんかは歩きましたよ。渋い焼き鳥屋さんにも行きました。でも、大学生のあんなに時間があった時に、神楽坂を満喫しなかったなんて…ホントもったいない。

そしてわが町、阿佐ヶ谷…これはブログにも先日書いたんですが、阿佐ヶ谷にはいい居酒屋が目白押し。居酒屋ファンに言わせると、実に羨ましい場所なんです。超有名店もあるし、玄人受けするお店も多い。でも、10年以上住んでいて、居酒屋なんてほとんど行ったことなかった。店名は書きませんが、昨日もすごい焼き鳥屋さんに行きました。うまかったぁ。

他にもこういったことが沢山あって…結局、自分側の問題なんですね。中野や京都や神楽坂や阿佐ヶ谷には何の落ち度もなくて(当たり前か)、自分側にその良さを見る目が開いていない、見る目がない、ということなんですね。『ひとりで、居酒屋の旅へ』を読んで思ったのも、まさにそういうこと。素敵な「町」も「居酒屋」も「酒」も「料理」も「旅」も、ずっと前からそこにあって、これからもそこにあり続ける。それにいつ気づき、いつ出会うかは、それこそこちら側の問題で、「気づこう」「出会おう」とすれば、素敵なことは向こうからやってくる(受け売り)。

もうすぐうちの会社が、芝浦田町から引越します。10年以上過ごしたんですから、ちゃんと田町を満喫してから(具体的には、焼肉「精香園」、中華「明輝」、餃子「大連」、沖縄料理「アダン」あたりを満喫することかな)、後で後悔しないように、引越したいものです(笑)。

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