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2007年5月

2007年5月28日 (月)

美しい試合

先日行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝、ACミラン対リヴァプールの試合は、実に美しい試合でした。結果的には、一昨年の大逆転の借りを返すカタチで、2-1でACミランが勝ちました。試合は、両者のビッグイヤーへの強い気持ちを伝えるかのように、静かに始まりました。最初のうちは、緊張で動きが悪いのか、と思って見ていたのですが、それは緊張ではなく、ラストゲームに対する選手たちの畏敬の念が、そういう空気を生みだしていたのです。決勝戦で、自分がつまらないミスをしてはいけない、その想いが伝わってきて、本当に張り詰めた空気の中で、試合は進んでいきました。両者ともに自分たちのカタチを持っていて、カカ、ピルロ、アンブロジーニ…片やジェラード、シャビアロンソ、ペナントらが、驚くような連動性で相手ゴールをめざします。その動きはまるで、軌跡を計算された数個のビリヤードの玉が、台の上を滑るように転がっているようでした。試合は、インザーギの抜け目のない2発で決まりましたが、両者共に、最後までエキサイティングなパフォーマンスを見せてくれました。Jリーグでもいつか、こんな美しい試合が観られますように(祈。

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2007年5月27日 (日)

女性は何故、ダジャレが嫌いなのか?完結篇

「女性は何故、ダジャレが嫌いなのか?」今回は完結篇です。

そもそも男性の性とは、その場その時がよければいい、ある意味非常に刹那的な存在です。しかも男性は、太古の昔から、狩りといういつ野獣に襲われ、命絶えるかもわからない状況で、多くの時間を過ごしてきました。狩りに出かけた夜、狼の遠吠えのする中で、男同士一緒に笑うこと。男性にとって大切なのは、明日に繋がる命ではなく、生きている今を共有することなのです。だから男性は、物事を流れのなかでとらえるのが上手ではありません。今、という地点から、過去や未来をとらえる。男性にとって需要なのは「今」であり、「今」が深い経験になることこそが価値なのです。

逆に、女性は「流れ」の中で生きています。自分の中に身ごもる命を、未来につなげていくことが、女性たちの役割のひとつです。現代において、それがすべてではないことは言うまでもありませんが、「流れ」を強く意識して生きている、とは言えそうです。女性が占いが好きなのは、「流れ」の中に自己の存在を位置づけることで、ある意味俯瞰的に生をとらえているからかもしれません。女性は昔から、男性が狩りに出かけている間、ずっと女性と子供たちのコミュニティを守り続けてきました。コミュニティを維持するためには、厳格なルールを持ち、女性同志の安定的な関係をつくりだす必要があったのです。

そこで「ダジャレ」です。

女性は、「ダジャレ」の何が嫌いなのか?それは、「それまでなされていた会話を、全く無意味化する」ことのようです。美しく流れていた会話を突如停止させ、脈略のない笑いが起き、全く新しい流れが発生し、いちから流れを作り出さなければいけない徒労感。女性は何時間も延々と会話ができますが、それは、美しい流れが起きているからこそなのです。「ダジャレ」で流れが断ち切れる会話など、何時間も話せるものではありません。女性にとって「ダジャレ」は、人間関係の流れを断ち切るおぞましいものなのです。

そしてルール。美しい流れを維持するためには、厳格なルールが必要です。それは、相手の話をちゃんと聞き、自分の話をちゃんとする、というルール。簡単なようで、意外と難しいルール。女性たちは、大勢で話しているとき、相手の話を聞いていないようで、実はちゃんと聞いています。だから、そのルールを守れない人は「苦手」なタイプに分類されます。自分のことだけずっと話し続ける人のことも敬遠します。逆に、自分のことを全く話さない人のことも敬遠します。ルールに沿ってないからです。そして「ダジャレ」こそ、そういったルールを完全に無視した、ルール破りのホームラン王なのです。「この人は、それまでの会話を聞いていたのだろうか?」「会話の文脈から離れたところで、脳を働かせていたのでは?」「思いついた、という自分勝手なことで、会話を分断した」と感じてしまう。ルールを無視したものであるからこそ、ダジャレが嫌いなんです。

長々と続けてきた「女性は何故、ダジャレが嫌いなのか?」この件に関して、全く裏づけのない、無責任な結論で申し訳ありません。いろいろ嫌いな要因はあるでしょうが、僕らが出した結論は、こういったものでした。意見等ありましたら、コメントお待ちしています。最後に、「女子のプロ、みつばさん」からいただいたコメントを紹介しますね。

「つまるところ、ダジャレ自体より、ダジャレによって人々の関心を惹こうという、その「ダジャレを発している男子」に対してゲンナリする、ということなわけです。もっとステキなことや・高尚なことや・心揺さぶることで関心を惹く努力をして欲しい、という。自己顕示欲を持つのは別にいいのですが、ダジャレというのはホンシツから大きくイツダツしたところで自己顕示欲をマンゾクさせて悦に入ってる感、というのが女子には分かってしまうので、それで醒めるわけです! ちなみに飲み会の場でもいいましたが、私はイギリス人のブラックなダブルミーニング系のジョークなどは好きです。あれはちゃんと文脈を理解していないと分からないという意味で、イッパツ芸ではないのです、しかもある程度頭もよくないと思いつかないし。ダジャレは言葉尻だけだから、ダメです。全然、却下!」

「ダジャレ」云々ではなく、「ダジャレを言うオトコ」が嫌い、と。全然却下、と。明解!、と。

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2007年5月25日 (金)

『感じるマネジメント』

『感じるマネージメント』リクルートHCソリューショングループ 英治出版

著者のHCソリューショングループっていうのは、リクルートの戦略人事コンサルティング部門のことらしいです。海外拠点世界30カ国、社員数10万人を超えたデンソーが、会社の理念を浸透させようと、このリクルートHCとおこなった活動について語られています。「会社の理念を浸透させる」ということでは、よくトップが全社員の前で「バリュ-2007」みたいな派手なプレゼンテーションをおこなったり、理念説明ツールを配ったり、管理職のワークショップをしたり、というケースがほとんどだと思います。しかし「カタチ」や「仕組み」だけでは、理念の共有化なんてできない。会社側の価値観を一方的に押し付けるだけでは、社員の気持ちは動かない。全社員が、会社のあり方を自分ごととしてとらえ、考え、語り、行動するプロセスを踏まないといけないし、その自発性を引き起こすための「感じるマネージメント」が必要、ということなんですね。

いろいろ勉強になるお話が多かったのですが、中でも、HCソリューショングループの人たちが、理念浸透の参考にと、聖イグナチオ教会を訪れ、そこで紹介された上智大学神学部の山岡三治学部長から伺ったお話が興味深かった。

「<布教>という時代は終わりました」

「上から下へ、相手の持っていないものを授けてやるのだ、という考え方はもはや通用しません。いや、もともと機能しないのです。そういうやり方は、西洋の科学技術が最先端を行っていた一時期に、力のない伝道者が安易に技術の威光を借りて行っていた方法にすぎません」「教えるのではなく、共に学ぶのです」「相手の心の中にある宝物を相手と一緒に見つけながら、共に豊かになること。伝道者の役割とは、そういうことです」

そもそもこの本は、社内コミュニケーションについて語ったマネジメント本。しかし今、広告コミュニケーションについて語られていることも、規模や目的の違いこそあれ、まさにこの教授の言葉どおりだと思いました。人々がネットワークという新しい能力を身につけたことで起きた、情報の民主化。授けたり、教えたりするのではなく、共有し、対話する感覚。「広告=布教」という時代は幕を閉じ、新しいフェーズに入っている。もはや、「広告」という言葉自体が、違っているのかもしれないと思いました。

PS:以前一緒に仕事をさせていただいたクライアントの方から、メールをいただいた。今はアメリカで仕事をしている、某ゲームソフト会社の方。あるソフトを一緒に担当して、いろいろあって、ものすごーーーーく大変だったけれど、結果的にそのソフトは超大ヒットして、おいしいお酒を一緒に飲んだ、いわば戦友ですね。たまたま偶然に、このブログを読んでくれたらしい。アメリカでこのブログを読んでもらっている=今、僕が感じたり、考えていることが、同時にその方にも伝わっていることに、なにか不思議な感じもしたんですが、そこが2.0。お元気ですか。日本に帰ることがあったら、連絡くださいね。

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2007年5月24日 (木)

一年前のエントリーから

『メディアの仕組みにばっかり目を奪われている間に、メッセージの重要性が、ふと忘れ去られているのでは?と思い当たり…コピーが効かない、デザインの時代…なんて、しばらく言われていたけど…効くよね、今、コピー。昨日の宝島の新聞原稿だって、グッときた。効くよ、コピー。電通の社長も「ソーシャル・インサイト」って言ってるらしいけど、社会はこの先どうなっていくのだ?とか、いまいち自分の知見だけじゃ、この先わからんもんね、という時代であるからして、ますます「ソーシャル・インサイト」を突いたコピーが効くんだよ、きっと。社会的合意が喪失していけばいくほど、逆に、社会的合意を求める(共有したい)みたいな。逆説、って言うんですかね。

今更ながら、「Hate something,Change something.」ホンダUKのカンヌグランプリ獲った例のCM。デーゼルエンジンのアレ。メッセージがね。やっぱり凄いよね。アニメがどうこうじゃなくて、メッセージがね。もちろん、アウトドアメディアの仕組みとか、唄を流行らせる仕組みもよかったけどね。時代に対するメッセージが、あるよね。だから…効くよね。

そして、UEFAチャンピオンズリーグ決勝。アーセナルvsバルセロナの試合開始まで、あと一時間!HDレコーダーはセットしたので、寝てもいいのだが…ps.トホホ…観てしまった…只今朝6時…おめでとう!バルセロナ!』

ちょうど一年前、↑のようなエントリーをしました。コミュニケーションの仕組みだけじゃなく、インサイトを踏まえたメッセージこそが重要なんだと。昨年、広告賞を総なめにした宝島社の、『団塊は、資源です。』の新聞広告を見て、興奮冷めやらない状態でのエントリーです。興奮しているので、文章の趣旨がわかりづらいかもしれませんが、人のココロを動かすメッセージの重要性を、語っています。あれから一年、生活者がますます見えなくなってきた中で、世の中の気持ちと結び合えるテーマ(メッセージ)開発は、その重要性をますます増して、テーマ開発こそ僕らの仕事、というような状況にすらなってきています。

さて、このあと3時半から、チャンピオンズリーグの決勝がおこなわれます。今年は、ミラン対リヴァプール。昨年のバルセロナの優勝から、もう1年たったのですね。早いものです。

PS:ACミラン、おめでとう!

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2007年5月20日 (日)

風邪引いた

先週から風邪ぎみです。喉が痛くて、ちょっと熱っぽい。仕事休むわけにいかないので、会社の診療所で、恒例のロキソニンをもらい、薬が切れるまで仕事しています。ロキソニンは解熱鎮痛剤なので、症状を緩和してくれるけれど、風邪を根本的に治す薬じゃない。会社のお医者さんも、「休んで直さないと…」と言いいますが、なかなか休めません。土曜日も午後から、打ち合わせに行きました。

日曜日の今日、お昼ごろまで寝ていました。熱は下がったのですが、喉の痛みと咳はちょっと残っています。しかも、体全体がボーっとしていて、さすがに今日はゆっくり休みます。

内容のない、ボーっとしたエントリーですみません(寝

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2007年5月 9日 (水)

『花王「百年・愚直」のものづくり』

『花王「百年・愚直」のものづくり』高井尚之 日経ビジネス文庫

花王という企業の歴史や、ものづくりに関する考え方を書いた本です。世の中の変化に対応し、自己が変化していくことを怖れない会社。変化、進化こそが、企業としてのダイナミズムを生み出していく。そのためには、生活者に目を向け、世の中の声を聞くことこそ、成功の秘訣であることをDNAで知っている会社。過去に出来上がった「文化」を売り物にするのではなく、未来に開かれた「文明」を売り物にする会社。数々の失敗もあったけれど、それを乗り越えることで、新しいエネルギーを生み出してきた……この会社は強い。

40代女性向けの、新しいシャンプー「Segreta」が出ました。僕が担当しているわけではないので悔しいのですが(笑、大ヒットしているようです。「大人の艶髪」。40代へターゲットフォーカスした大胆さが、他の世代も引っ張る力になっているのでしょう。花王がまたひとつ、新しい扉を開いた。

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2007年5月 7日 (月)

PC壊れたkkkkkkkk

うちのPCのキーボード部分に、息子が水をこぼしてしまい(コラッ!)、文字が打てなくなってしまった。電気屋さんで、代わりのキーボードを買ってきたのですが(すごく安いんですね!)、キーボードの厚み(高さ?)が今までと違っていて、文字がとても打ちづらい。それと現状、突然kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkみたいな感じで、知らない間にkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkとか、kの文字だけを勝手に打ち続け、kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkかなり困ったことになってしまい、ゴールデンウィークはブログ更新なしで、毎日グダグダ過ごしてましたkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk←いわゆる奪三振王ですな。

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2007年5月 1日 (火)

女性は何故、ダジャレが嫌いなのか?その3

「ダジャレって、会話が一瞬、ピタリ。。。。と止まる、あの感じが嫌なんですっ!!」

その女性は、今まで心の中にためていた濁った水を吐き出すかのように、声を絞り出した。その濁った水は、そこにいた人間たちを二つに分けるようにして流れていった。男と女の間を、すごい勢いで流れていった。女「確かに、会話が止まるのってすごくイヤだわ」男「えー、そこがいいんじゃねーの」女「どうしていいか、わかんなくなっちゃう」男「やられた!って感じがいいわけよ」女「それまでの会話は、なんだったの?って感じがする」男「また前の会話に戻ればいいじゃん」女「自分の話を聞いていなかったのかなって、寂しくなる」…濁った水は、男と女のそれぞれの気持ちを引きずり出しながら、流れていった。その流れあとに、キラキラと光る、まるで砂金のような「ダジャレの真実」が見つかった。fin

なんで小説風なんだよ!なんで水が濁ってんだよ!と罵声をあびつつ、次回結論。

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