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2008年1月

2008年1月23日 (水)

ほのぼのと、年賀状などを整理して

先週末、今年もらった年賀状の整理をしました。会社に届いた分と自宅分を一緒にして、住所が変わったものがあれば、住所録を訂正して。僕はそんなにまめなほうじゃないけれど、毎年、年の瀬になると、今年もらった年賀状はどこいった?とか騒ぎになるので、暇なときにやっておこうかな、と。

ここ数年、変形の年賀状が目に付きましたが、今年はそんなに多くなかったような気がします。変形の年賀状にも、みんな飽きちゃったですかね。保存のこと考えると、定型のほうが整理しやすいけれど、中にはビックリするような面白い変形モノもあって(変形モノを出すのは、デザイナーが多いかな)、それはそれで楽しいです。

昨年末、日本郵政が「年賀状は、贈り物だと思う」というキャンペーンをやっていました。年賀状を「送る」ということは、その人の気持ちを「贈る」ということ。PCメールでの味気ないコミュニケーションが主流の時代に、年賀はがきに「手書きの一言や、簡単なイラストを加えて贈る」ことで、自分の気持ちを伝え、相手の気持ちを少し動かす。年賀状が持っている、小さいけれど、人間味のある、あったかい価値を再発見してほしい、というキャンペーン。CMを見ていて、僕は素直に「いいなぁ」と思いました。

年賀状を書く場合、住所はパソコンとプリンターにお任せだし、賀状のデザインも今は印刷が普通でしょう。つまり直筆は、「手書きの一言」だけなんです。そしていつも僕は、この「手書きの一言」を書くのに、結構苦労します。1年に1回、年賀状でしかやり取りのない人には、「ごぶさたしています」なんて、当たり障りのないこと書いたりしてね。いつも会っている人には、その一言がパッと浮かぶケースと、(素敵な一言を書こうと頑張りすぎて)、なかなか思い浮かばないケースと、両方ありますね。

うちの会社の先輩に、年賀状に書くこの「一言」が、とても上手な人がいます。毎年毎年、その人の「一言」は、僕をうれしい気持ちにさせてくれる。割とストレートな、僕に対する「期待の言葉」を書いてくれる。それは、とてもとても短い言葉。

と、ここまで書いて、ふと思ったこと。短い一言だからって、パッと浮かんだ言葉を書いているだろうと思っていたけれど、もしかしたら、その一言に結構時間をかけて考えているのかもしれない、と。

「贈り物」であるということは、それをあげる相手を、どれだけ喜ばせるか、ということ。それにかける時間や手間を惜しまず、自分ができるだけのことをする。その、相手を喜ばせようとする努力が、人の気持ちを動かす。年賀状に書く一言も、単純作業的に次から次へと書き続けるだけじゃ、なかなか人のココロを動かさないかもな、と。来年の年賀状は、もう少し時間をかけて書いてみようかなと、そんなことを考えました。

話はちょっと変わるけれど、昨年、後輩の結婚式に出た時のこと。僕は時間がなくて、コンビニでご祝儀袋を買った。そしたら、一緒に結婚式に出た会社の同僚二人が、わざわざ、ご祝儀袋を、銀座まで買いに行ってたんですね。それはそれは、とても素敵なご祝儀袋。

「贈り物」をあげる、ということ。

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2008年1月20日 (日)

『ひとりで、居酒屋の旅へ』

『ひとりで、居酒屋の旅へ』太田和彦 晶文社

資生堂のアートディレクターだった太田さんの居酒屋本。東京の名居酒屋の紹介だけでなく、自分が生活してきた町や、日本全国のいろんな旅について語っています。カバーに、こんなコピーが。

  町を歩こう。町にはいろんなものがある。

  居酒屋に入ろう。うまい酒と肴が待っている。

  旅に出よう。ひとり旅だ。

  そうして、居酒屋に入ろう。

  至福のときの、はじまり、はじまり。

先週、夜の中野の町をひとりで歩いた。中野は、僕が住んでいる阿佐ヶ谷から新宿寄り、二つ先の駅。いわば地元と言っていい。僕が大学生の時は、高田馬場、新宿、中野、高円寺あたりで遊び呆けていたし、サンプラザやブロードウェイにも何度か行っているし、娘が通っていた幼稚園が中野にあったから、毎朝送っていってた。自分とは、割となじみの深い町だと思ってた。ところが夜の中野が、あんなにディープな(楽しそうな)町だったとは!知らなかったぁ…なんて、もったいない。

最近こういうことが多い。

京都…以前、京都には親戚がいて、何度か案内されて行ったんですね。お寺さんやら祇園やらお茶屋さんやら。でもね、何を見ても、「ふーん、京都やね」ってなもんで、あまりココロ動かなかった。今から思うと、自分がまだ京都を欲していなかった。ところが、昨年何冊か小説を読んで、一気に京都にハマり、「京都って、すごい…」なんて思い始めた時、親戚は鎌倉に引っ越していて…ああ、もったいない。

神楽坂…大学生のとき2年間住んでいたんですよ。新潮社の裏のあたり。しかも、神楽坂の途中にある洋食屋さんで、アルバイトまでしてた。でもね、その後、いろいろな本で神楽坂の特集なんかを見て、風情のあるいい町だなぁって。でも、自分が住んでいたのに、神楽坂のことに何も知らないことに気づいたんです。もちろん神楽坂ならすぐ行けるから、その後、石畳の小道なんかは歩きましたよ。渋い焼き鳥屋さんにも行きました。でも、大学生のあんなに時間があった時に、神楽坂を満喫しなかったなんて…ホントもったいない。

そしてわが町、阿佐ヶ谷…これはブログにも先日書いたんですが、阿佐ヶ谷にはいい居酒屋が目白押し。居酒屋ファンに言わせると、実に羨ましい場所なんです。超有名店もあるし、玄人受けするお店も多い。でも、10年以上住んでいて、居酒屋なんてほとんど行ったことなかった。店名は書きませんが、昨日もすごい焼き鳥屋さんに行きました。うまかったぁ。

他にもこういったことが沢山あって…結局、自分側の問題なんですね。中野や京都や神楽坂や阿佐ヶ谷には何の落ち度もなくて(当たり前か)、自分側にその良さを見る目が開いていない、見る目がない、ということなんですね。『ひとりで、居酒屋の旅へ』を読んで思ったのも、まさにそういうこと。素敵な「町」も「居酒屋」も「酒」も「料理」も「旅」も、ずっと前からそこにあって、これからもそこにあり続ける。それにいつ気づき、いつ出会うかは、それこそこちら側の問題で、「気づこう」「出会おう」とすれば、素敵なことは向こうからやってくる(受け売り)。

もうすぐうちの会社が、芝浦田町から引越します。10年以上過ごしたんですから、ちゃんと田町を満喫してから(具体的には、焼肉「精香園」、中華「明輝」、餃子「大連」、沖縄料理「アダン」あたりを満喫することかな)、後で後悔しないように、引越したいものです(笑)。

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2008年1月14日 (月)

「モノを書く」「モノを言う」

『根をもつこと、翼をもつこと』田口ランディ 晶文社

『人生の目的』五木寛之 幻冬舎

『恋愛の格差』村上龍 青春出版

昨年末に、阿佐ヶ谷図書館から借りた3冊。

家の大掃除を怠けて、長風呂して読みました。たまたまだけれど3冊ともに、2000年前後に書かれた本でした。つまり、今から7、8年前ぐらい前ってことです。この歳になると、わずか7、8年前って、ごくごく最近な感じがするんですが、読み進むうちに、3冊ともにちょっとした違和感を感じたんですね。バブルが崩壊して、日本社会がこの先どうなっていくのかわからない。そういった時代背景にある「暗さ」が醸し出す違和感かな、とはじめは思ったんですが、そうじゃないんですね。

何だろう、何が今と違うんだろうって考えた時、ふと思ったことは、自分が読んでいる最近の本に比べ、テーマが大きいんです。「戦争」や「人生」や「恋愛」や、3冊ともにそれぞれ言及している内容は違うのですが、モノのとらえかたが大きい、というか逆に、今基点で読むと、テーマが大きすぎて、何か雑駁な感じがしたんです。大きなテーマを世の中に問いかける、という姿勢とはすれ違うカタチで、今の僕らの感覚が変化しているから、何かボンヤリとした内容に感じてしまう。

たぶん、たった7、8年前は、「モノを書く」ということが、「社会に対してモノを言う」ことだったんですね。著者たちにも、「社会全体に対してモノを言う」姿勢が残っていた。僕たちは、こういった著名な方々が、大きな視座でモノを言うことに対して、「本を買う」意味を見出していたんです。出版マーケットも今よりずっと大きくって、「書く側」も「買う側」も、感覚が今とは全然違っていたんでしょう。

『ウェブ進化論』の梅田さんも言っていたように、ネットが出現した結果、「モノを書く」ことが、ごく一部の特別な人たちの特権でなくなって、多くの人たちに開放された。そしてそれは、ネットの中だけの話ではなくて、出版への影響も当然大きかった。たくさんの人たちが、自分の専門分野に関する、「狭いけれど深い話」をするようになった。その人たちが、「モノ言う」相手は、社会全体じゃないんですね。「狭いけれど深い話」をわかってくれる人だけでいいんです。

そして、いい悪いは別にして、僕らはそういった環境に慣れてしまった。だから、いくら著名な人の本でも、漠とした話にはノレないし、無名の人でも、自分が興味を持てる深い話ならば読みたくなる。ある意味それは、「社会全体のオタク化」が、「本を読む意味」に変化をもたらしたのかもしれない。

本とは全然関係ないけれど、最近はお酒を飲みながら、「政治」や「人生」や「恋愛」についての、獏とした話をすることって無いですよね。いまどき、獏とした話をするのは、酔っ払ったオヤジだけですね。いや、オヤジだってしないか。「人生っていうのはさぁ」なんて台詞、3流のドラマにも出てきません。でも、たまにはみんなで獏とした話も面白いかもね。

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2008年1月13日 (日)

新しいスケジュール帳を買いました

新しいスケジュール帳を買いました。

それは、「moleskine」という手帳。昔フランスで作られていた、ゴッホやヘミングウェイも使っていたという噂のある伝説の手帳です。黒と赤があって、ゴムがついているあれです。これがすごく使いづらいんです(笑)。まず、カレンダーに日本の国民の休日が書かれていないので、自分で書き込むしかない。しかも月や曜日が英語表記なんで、慣れていない僕はMarchが何月で、Thursdayが何曜日なのかを考えてから書き込むから、時間がかかるんですね。しかも1日1ページなので、週間の出来事を見通せない。来週の金曜日のスケジュールを教えてください、なんて言われると、えーっと、Frydayはね…なんて、すごーく時間がかかるんです。じゃあ、なんで使ってんの?

今までの僕が使っていた小さなスケジュール帳「能率手帳」は、1ページが1週間。これからの時間と過ぎた時間が、1週間単位で見渡せる。物事ってだいたい1週間単位で、大体の進行を把握しますよね。僕らの仕事で言うと、1週間後のプレゼンは無理だけど、3週間あればまぁなんとか、なんてね。学校の時間割だって1週間単位だし、僕らは1週間という時間単位に慣れている分、何をするにもきっと効率がいいのでしょう。

効率だけを考えたら、すごくよくできたこの1ページ1週間の手帳を、僕は20年も使っていたから、ある意味僕の人生そのものも、1週間単位で出来上がっている。1年約50数週が僕の1年だったんですね。今まで使ってきた20数冊の能率手帳を見返してみると、そこに書き込まれているのは、たくさんの打ち合わせとプレゼン、何日にこんな撮影があったとか…何がいつ、どこであったか、なんてことは書き込まれているんです。

でも、そこで何が起きて、僕が何を感じ、何を考えたか、は書かれていない。

1ページ1週間のスケジュール帳にも、右側のページにブランクのスペースがあるんですが、小さいスペースなので、簡単なメモ程度しか書き込めない。いや、人によっては、小さな文字で、出来事を書き込んでいる場合もあるかもね、っていうか、何もここで「能率手帳」を責めているんじゃないんです(笑)。1ページ1週間の「能率手帳」も、目的によっては、最高に使いやすいようにできているんです。だって、20年も使ってきたんですよ。

僕の考え方が変わっただけなんです。(記憶する)(書き留める)という機能を、手帳に持たせようと考えるようになったということなんです。日記のような機能、といってもいいかもしれない。スケジュールを管理するだけなら、これ以上ない「能率手帳」ではなく、「moleskine」を選んだのは、「その時そこであったこと」を書き残そうということなんです。まだ、やり始めてそんなにたってないので、いつまで続くかはわかりませんけどね。

もともとは、記憶力が低下したことが気になっている、ということがきっかけでした(笑)。でも、ずっと使ってきたスケジュール帳を新しくするみたいなことで、物事の見方が変わったりするって、ちょっといいですね。

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2008年1月 5日 (土)

個人的「居酒屋ブーム」

昨日届いた年賀状で、会社の後輩のカンノ君から情報をもらった。

「阿佐ヶ谷の居酒屋『可わら』が、いいらしいですよ。」

カンノ君は会社では後輩だが、居酒屋好きとしては先輩である。こないだ、京都でおこなわれた結婚式に一緒に行った時、東京の居酒屋についていろいろ教わったのだけれど、彼が言うには、「中央線、特に阿佐ヶ谷には、いい居酒屋がたくさんありますよ」とのこと。

中野、高円寺、阿佐ヶ谷…この3駅には、古くからの居酒屋の名店が多いらしいのだ。(昔、会社の先輩から、阿佐ヶ谷にはクリエイティブの連中が集まる、日本酒のうまい居酒屋がある、と聞いたことがある。その当時会社は、東京駅にあったわけで、何故阿佐ヶ谷まで行って飲んだのか?そのお店はすでに閉店しているようだが)

そこで僕はこの正月、中央線沿線の居酒屋さんの情報を集めてみた。(お正月風邪をひいて、ほとんど外出できなかったので)ネット上には、居酒屋ブームだったこともあるが、居酒屋さんの情報が溢れている(特にこれ、ブログ「居酒屋礼賛」(地区別インデックス)はスゴいですね。どんだけ行ってるの?!)それと、普段から買ってるグルメ本などの情報を加味し、発表しますっ。

「阿佐ヶ谷の、ちょっと行きたくなる居酒屋!あの店、この店」(阿佐ヶ谷に住んで11年。ココロ揺さぶるお店が、こんなにもあったとは!)(未)は行ったことのないお店。

●「川名」…「ヨジカワ」(居酒屋ファンが、開店時間の午後4時に川名に集うこと)という言葉があるぐらい、超有名な典型的居酒屋。安い、うまい、おやじ。

●「善知鳥」…(ウトウと読みます)ここも有名店。日本酒の燗の入れ方がおしゃれ。ストイックすぎてちょっと、という人もいる。店内がすごく静からしい。Danchu常連。(未)

●「鳥久」…ここも超有名。かなり普通な焼き鳥なんだけれど、軽快に鳥を焼くおやじさんが素敵。注文をよく間違わないなぁ、と驚愕。ここも、開店するとすぐ満席。

●「なかよし」…ここも有名。青梅街道沿い、博多の鉄なべ餃子のお店といえば、知ってますよね。

●「与っ太」…日本酒の数がすごいらしい。店の前を何度も通っていたが、ネーミング的にどうなの?と個人的には感じていた。(未)

●「もと木」…いろいろな雑誌で、取材されています。(「もっくんの店」という噂があったが、真偽はわかりません)。(未)

●「バードランド」…銀座に行った「バードランド」の後に、「今井屋」が入ったがダメで、またお弟子さん(?)が「バードランド」を開いたら、流行っている。「今井屋」的には悔しいだろうなぁ。

●「米久」…おでんやさん。薄味で、タネがでかくて、うまいらしい。(未)

●「のっぺ」…実力の台湾料理居酒屋。間口が狭すぎてコワい。なので11年間、戸を開けたことがなかった。最近は、勇気を持ってのぞくが、いつも「終わりましたぁ~」と言われる。意外と早く閉める。(未)

●「銀ちゃん」…典型的居酒屋。お刺身うまい。ご近所さんばっかりで、ほっこりしたお店。

●「可わら」…カンノ君推薦。知る人ぞ知る居酒屋の名店らしい。タイ料理の名店「ピッキーヌ」のご近所。もはや、看板すら出ていないって、どんだけの店なんだ!一見さんで入れるのかな?(未)

●「じげもん」…日本酒が純米中心に揃っていて、趣味があう感じがする。料理もおいしい。もの静かなお酒に詳しいマスターと、とっても気さくなフロアの人。いい店。

僕は、『東京カレンダー』や『東京情緒食堂』などをまめに買って、最新の東京レストラン事情を知ることで、悦に入っていたタイプだった。評論家の意見にしたがって行ってみて、「あの本に書いてあるように、うまいな」と思う。自分がうまいかどうかよりも、「本に載っていたあの料理を食べていることで満足する」みたいな。つまり、「情報を食っていた」わけだ。

でもね、最近思うんですよ。ああいうグルメ本に出ている都心店は、高い家賃と権利金払って、しかも多額の改築費用を出してやっている。それに比べ、地元で昔からやっているお店は、土地も店も自分んちの場合が多いから、食材に当てられる原価が違う。おいしいものを食べようとすれば、地元が一番なんだよね(ウケ売りだけど)。

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2008年1月 4日 (金)

「ブログを書く」ということ

11月の頭から、ブログをお休みしていた。長期出張へ行っていたわけでもなく、病気で休んでいたわけでもなく、死ぬほど忙しかったわけでもなく、まぁ要するに、ただ怠けていただけなんですね(笑)。

っていうか、ブログ書くのもちょっと飽きたなぁ、止めちゃおうかなぁ、という気持ちも正直あった。今日こんなことがあった、こんなことを感じた、こんなもの食った…なんて書いて何になる?意味ないよーなんて、気持ちがささくれ立って(?)いたこともありました。僕のブログのような書き方だと(雑感長文系?)、内容はともかく、書くのにけっこう時間がかかったりするんですね。だいたい1つの記事に約1時間。そんなに更新するほうじゃないから、1週間に2~3時間。ブログを書いてる時間があるんなら、もっと他に時間の使い道があるんじゃないかって、そう考えたりもした。

でもね、2ヶ月休んで改めて思ったのは、ブログを書くってやっぱりいいかも~ってこと。

人間って、いろいろと忘れちゃう生き物なんですね。今日起きたこと、読んだ本のこと、ちょびっと感動したこと、ふと浮かんだことetc…悲しいかな、そういったことの大部分は忘れてしまう。もちろん、深く感動して、一生忘れられないこともあるだろうけれど、そんなことはそれほど多くないんだな。

この2ヶ月間、結構な数の本を読んだんですね。でもね、そのほとんどを覚えていない。読んだときは、結構感銘を受けていたのに、ですよ。記憶力が減退したから、とも言えるけど、きっとそれだけじゃない。人間の脳の情報処理能力には限界があって、活字情報って、他にも新聞やらネットやら、本以外の情報も莫大に大きい。だから本から得られる活字情報は、相当印象的じゃないと、なかなか記憶されないんだと思う。

ところが、読んだ本の感想をブログに書くことで、その本の記憶が鮮明になる。もちろん自分のブログを後で読み返すこともあるので、さらに記憶は強固になる。

でももっといいのは、本の感想を頭の中で整理する、もっと言うと、ブログを書こうとすることで、頭の中で意見形成ができる、という部分だと思うんですよ。作者はこう言っているけれど、僕はこう思うなぁ~とかね。

でもね、もっともっといいのは、本を読むことも含め、どんな体験でも、誰かに話したり、書いて伝えることで、その体験のポイントや本質がギューっと整理される、ってことだと思うんですね。よくあるじゃないですか。居酒屋かなんかで、友達にわーわー話しているうちに、話のポイントが整理されて、あ、そういうことってアリだな!って逆に気づくみたいなこと。ブログを書く効果って、人に伝えようとすることで気づきが起きる、ということだと思います。人に見せないことが前提の日記とは、そこが違うのかも。

もちろん他にも、ブログのネットワークで、自分の体験が誰かにシェアされたり、思いもかけない情報が入ってきたり、たくさんの人たちが集まって世の中化していったり、ブログの楽しいところはいろいろある。でも僕の体験が、僕の記憶に強く残っていくことが、とりあえず今の僕にとっては、とても嬉しいことかもしれない。

先日のエントリー「新しいスケジュール帳」で書いたこととも関係してくるんですが、ただたくさんのことを、ダラダラと体験することとは違う、「濃い体験」「濃い記憶」づくりには、その体験を自分の中でちゃんと捉えなおすみたいなことが大切だな~と、2008年の年頭に思ったわけです。結論…つまりは、今年はブログをもうちょっとちゃんと書こう…とか言って、また怠けていたらごめんなさい。

余談ですが、ブログを書いている人と書いていない人、話しているとなーんとなくわかるんです。もちろん、100発100中じゃないですよ。なーんとなく。でもこの感じ、ブログを書いている人はわかりますよね。

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2008年1月 2日 (水)

新しいスケジュール帳

年末に買ってきた真新しいスケジュール帳を開いて、今年最初の予定を書き込んでみる。最初だけは、やけに丁寧な文字で書き込むんだけど、そんなのは最初の1週間ぐらい。書いたり消したりしているうちに(消すときはホワイトペンで綺麗に消すのが僕の癖)、そのスケジュール帳は、自分だけが分かるような、汚い文字やら記号やらで埋まっていく。

おとといまで使っていた2007年のスケジュール帳も、全部のページがビッシリと細かい文字で埋まってる。予定で埋め尽くされたこのスケジュール帳が、僕が1年頑張って働いた証なんだと思うと、ちょっと悲しくなってくる。

時間のたつのが早すぎる。もう半端じゃないスピードで、時が過ぎていく。「楽しい人生送っているから、早く感じるんですよ」なんて、後輩が慰めともヨイショともつかない言葉をくれるが、「そうかもねー、楽しもんねー」とか言いながら……いまいち納得できない自分がいる。

歳をとったせいだと思っていた。歳をとると、時間がたつのが早く感じるもんだ、となんとなく思っていた。生きてきた全部の時間に対して、直近の1年が占める割合(つまり僕の場合今45歳だから45対1)が、今年1年の長さの感覚になる、という説を信じてきた。(この説は脚本家の鈴木聡さんから聞き、その時は、なるほどーと強く納得した)

昔中学の先生は、「30代はあっという間に過ぎていくよ。30代って忙しいからね。結婚して、子供ができて、家建てて、仕事も充実してさ。でも40代になると、また時間がゆっくり流れ始めるよ」って言っていた。この30代多忙説も、なんとなく信じてきたけれど、40代も半ばになるが、ゆっくりどころか全然早くなるばかり。

誰しも(僕も)、自分の人生を有意義にすごしたいと思っている。充実した人生のために、あれもこれも、いろいろやりたいと思っている。楽しいことは、沢山あるから。

だから、人生の残り時間を、やりたいことで埋めていく。スケジュール帳を埋めていく。そして、やりたいことを次から次へこなしていく。来る日も来る日も、こなしていく。だから早い。だから、あっというまに時間はたっていく。

誰しも(僕も)、自分の人生の残り時間を、効率的に過ごしたいと思っている。だから、空いている時間に、「何か」をどんどん埋め込んでいく。すると、朝から晩までいろいろなことが連続して起きる。ふと息を抜く瞬間なしに、生きている。だから、あっという間に時間はたっていく。

どんどんスケジュールを埋めて、どんどん生活を効率的にしていくことが、平板な人生を生み出しているのかもな、って思った。だから、時間のたつのも早いのかもな。

広告業界なんて、そもそも時間を切り売りするような商売である。時間をどれだけ有効に使うか、時間単価を上げていくことが、広告人の価値と直結するわけで…。でも、それにも限界があるよね。詰められるだけ詰め込んで仕事をすることが、幸せな仕事人生であるはずはない。

僕らは学校にいた頃から、ちゃんと目標を立てて、その目標に向かって時間をどう使っていくかを考えなさい、と言われ続けてきた気がする。それは、最近のビジネス本なんかでは、さらに効率のことが強く言われているように思う。時間をどう使うかは、もちろん大切なことなんだろうけれど、「残された時間」を、たくさんのことで埋める、隙間なしに埋める、という感覚はちょっと見直してみてもいいかなって思う。

僕は会社に入ってから、ずっと同じスケジュール帳を使ってきた。能率協会が出しているごくごく普通の「能率手帳」。1月、2月の数ページにちょっとだけ予定を書き入れたけど、来週あたり別の手帳を買って使ってみようかな、と思っている。少なくとも、「能率」じゃないやつ。

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2008年1月 1日 (火)

新しい年がきた~♪

あけましておめでとうございます。

2008年が幕をあけました。今年の広告業界は、どんなことになるのでしょう?ここ2~3年、広告業界は大きな変革の時期を迎え、各社様々な変化の中で、忙しい毎日をおくってきたと思います。広告人にとって今年が、幸せな1年になることを願わずにはいられません。

弊社は今年、赤坂移転が決まっています。10数年前、会社が田町に移り、芝浦の殺風景な中に初めて立った時、一刻も早くこの場所から抜け出したい、と真剣に思ったものです。まぁ日々の仕事の中で、そういった気持ちも風化していき、田町にも慣れてしまったわけですが、10年を超えてようやく、この地から抜け出せることになったのです。

赤坂では、今汐留にあるメディア会社とも、同じビルに入ります。ブランドエージェンシーとメディアエージェンシーが、一つ場所にあることで起きる新しい化学変化を、僕は今から楽しみにしています。メディアニュートラルなキャンペーン構築が当たり前になり、一方でメディアも、クリエイティブプランニングな側面が重要視されるようになりました。ブランディングとバイイングは全く別のもの、という考え方は過去のものになり、プランニングを中心にして共同作業をするという、新しい環境が現れているのです。

僕らの仕事ぶりも、大きく変化しています。今までの、営業とマーケとCDが全体の戦略を考え、その後リレー方式で各スタッフがそれぞれの専門分野で考える、というカタチが終わりつつあります。各分野が著しく専門化した一方で、各分野の乗り入れと、相互の理解も進みつつあります。Web領域やメディアコンテンツ領域に関する理解がまったくないCDは、さすがに少なくなったようです(と祈りたい)。

そういった中で、関係スタッフが全員集まって、自分の専門分野にかかわらず、みんなでコアアイディアを考え、みんなで全体構造を生み出す、というスタイルが浸透してきました。まだまだこのやり方になじまないCDもいるようですが、得意先から見れば、キャンペーンのコアが何か、全体構造がどうなっているか、予算配分は最適化しているか、などの点で非常にわかりやすいプランニングと言えます。

広告会社のクリエイティブ機能が、コアアイディアづくりと全体構築になってきたことで、広告会社の「クリエイティブ」という言葉の意味も、変化し始めています。今までは「広告コンテンツをクリエイティブする=つくる」という一元的な意味でしたが、これからは、もう少し根源的な「クリエィティブ」が求められると思います。まだ見えていない未来を想像し、その未来にカタチを与えていく。いろいろな社会事象から、新しいテーマや文脈を発見し、それをデザインしていく。まだ誰も考えたことのないビジネス自体を、クリエイティブな発想で生み出すこともあるかもしれません。

広告コンテンツ(CM、グラフィック、Web等)づくりに関しては、プロダクションへの機能付与が進んでいるように感じます。コアアイディアと全体構築に対する責任が以前よりも重くなってきたこと、前述したように、クリエィティブの意味合いが変化してきたこと、プロダクションの企画制作スキルが高まってきたことなどが原因でしょう。広告会社のクリエーターと言われている人たちが、今後どちらのスタンスで広告に関与するのか、ということを早晩問われることになるはずです。

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