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2008年3月 9日 (日)

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』森真一 ちくまプリマー新書

部下に対して僕は、よっぽどのことがない限り怒ったりしない。それは直すべき点を、部下が自分自身で気づき、自ら改善しようとしない限り、上司が怒っても根本的に何の意味もない、と考えているからだ。だから、気づきにつながるような言葉をかけることは、たまにあるけれど…というか、日々の仕事の中で、「怒る」「叱る」に繋がることがそもそも少ないし、お世辞でもおべんちゃらでもなく、部下はみんな能力が高く、前向きに仕事に向き合ってくれている、と感じているから、「怒る」「叱る」必要があまりなかったのだ。しかしこの本を読むと、もしかしたら僕はこれまで「怒る」「叱る」ということを、時代の空気の中で、無意識のうちに避けていたのではないか、と思えてくる。

本当にその人のことを思い、その人の将来に良かれと思ってかける言葉が、時にその人を傷つけてしまうことがある。しかしその人を本当に思っているのであれば、傷は時とともに癒され、その人の心に何かを残すはずだ。この本で言う、「やさしい厳しさ」である。

しかし今の日本には、こういった「やさしい厳しさ」とは違う、「過剰なやさしさ」が蔓延しているという。

「怒る」「叱る」「注意する」ことで、相手を傷つけることを恐れ、あえて何も口にしない。その場の仲間関係を楽しく保つことが、何より優先されるから、「KY」(空気をよむ)ことだけが大切になってくる。「私、○○が好きかもー」という、自分の意思なのに語尾を曖昧に終わらせる奇妙な文章も(今ではそれほど奇妙に感じないが)、相手との決定的な対立を避けるために考え出せれたものらしい。グループの中に「キャラ」をつくって、安定的な関係性をつくるのも、誰もが傷つかないための知恵だと言う。

この本では、関係性を楽しく保つための、こういった「人を傷つけないやさしさ」が悪い、と決め付けているわけではない。時代とともに社会の価値観は変化し、人間の関係性も変わっていく。どんどんやさしい時代は進んでいくのであるが、しかし、表面的に人を傷つけたくないという、あまりにも「過剰なやさしさ」が、人間の「本質的なやさしさ」を奪ってしまう「こわさ」に、着目しているのだ。

場の空気が悪くなっても、言わなきゃいけない時は、言わなきゃなぁ。摩擦がないからいい関係、ってわけじゃないしね。

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