書籍・雑誌

2008年5月19日 (月)

『不機嫌な職場』『ひらがな思考術』

この数週間、なんだか忙しかったぁ…3週間ぶりの更新です。4月末に赤坂へ引っ越して、気分的にも舞い上がって、赤坂だ!ワーイ!なんて新しい店なんかにも行って、大きなプレゼンも何本か抱え、ゴールデンウィークは家族で実家へ帰って、法事行って、入院してる親戚の見舞いに行って、そうそう大腸の内視鏡検診もしたし(痛かったぁ、でも、無事でした)、本を読んだりする時間はあったけれど、ブログまでは書けなかった…って感じです。

『不機嫌な職場』講談社現代新書

まず、本のタイトルがいいですね。そして、サブタイトルが「なぜ社員同士で協力できないのか」。うちの職場は、かなり「上機嫌な職場」な方だと思うし(笑)、「社員同士で協力し合ってる」方だとも思うのだけれど、確かにこのタイトルを見てドキッとしたし、思わず買ってしまった。90年後半以降の成果主義がもたらしたものが、「一人ひとりが利己的で、断絶的で、冷めた関係性が蔓延している」職場であるとするこの本の指摘を、否定できる経営者はいないのではないか。

僕はこの本を、広告クリエイティブという仕事に置き換えて読んだのだけれど、広告クリエイティブという仕事は、もともと専門性が高く、守秘義務が厳しい仕事なんですね。社員同士、もしくはマネージャーとのコミュニケーションを密にしないと、何をやっているのか見えなくなる、つまり「タコツボ化」しやすい職場なんです。そこに「成果主義」が導入されたことで、「タコツボ化」はますます進んだ。「自分なりの結果を出しさえすればいいんでしょう?どうやるかは勝手でしょう?」という、「自分だけ」意識を生んだことは否めないと思う。社員同士挨拶もしないし、それ以前にまず席にいない。会うのは打ち合わせの時だけ、というような状況も生んだ。これだったら、会社辞めても、状況は変わんないじゃん、みたいな気分にもなった。スタッフ同士がアイディアをぶつけ合って、より高度なアイディアに昇華させていく。チーム全体で大きなアイディアを提案することが、僕らの仕事の本質なのに…一部の個人だけにスポットがあたるから、スポットがあたらないスタッフは、不平と不満と不安を持つ…。

変えなきゃね。広告クリエイティブには新しい評価軸が求められている。新しい意識、新しい働き方、新しいマネージメント、新しい組織、新しい育成…いろんなことが、求められている。

『ひらがな思考術』関沢英彦 ポプラ社

引越しの最中に、ある会社の上司の本棚で発見し、「あ、この本読みたかった。くださいよ。」と言ったところ、「アンダーラインが引いてあって、恥ずかしいからダメ」と断られた。でも、後日わざわざ新品をくれたんですー。いい上司、いい職場。

思考するための、いろいろな方法論を紹介してくれていますが、なかでも、「ひらがなで考え、感じ、あらわすことで、見えなかったことが見えてくる」というこの本の主張に、僕ははげしく共感いたしました。

最近会話の中に、カタカナ語(英語)が多すぎやしませんか!と。昔、会話で難しい英語が使われると、「それ、どうゆう意味?」っていちいち聞いていたのですが、最近は、日常会話に英語が多すぎて、もういちいち聞くのも面倒になり、わかったふりして聞き流すことが増えた。助詞や接続詞意外はすべて英語で、「だったらもう、僕のことは気にしなくていいから、全部英語で話してよ!」なんて、僕はよく半泣き状態になっています(笑)。

話が本筋からズレましたが、この「わかったふりして」が非常に危ない、と。英語も、難しい漢字もそうなんですが、なんとなくこういった意味だろうと解釈して思考を進めると、最終的に、なんだか全体がわかんなくなる。みんな「わかったような」気分にはなるが、実は全然わかってなくて、結局なにをしていいかわからない、とかね。

最近は減ったけれど、マーケの企画書も難しい漢字と外来語が多すぎて、意味がつかめない、ってことありました。「意味」よりも、企画書の「密度」を重んじる、みたいな(笑)。

でも、いいこと思いつきますね。「ひらがな」ね。この本が出たのは2005年。日本や日本語がブームになったりしたのも、この時期からでしたっけ?今も続いていますもんね。

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2008年4月28日 (月)

『とける、とろける』『そのノブは心の扉』

『とける、とろける』唯川恵 新潮社

直木賞受賞作『肩ごしの恋人』の著者が、初めて挑戦したエロティックストーリー。新聞広告に著者自身の言葉で「読まれるのが恥ずかしい小説」と書かれていたことで、思わず買ってしまった(笑)。どの短編も、男と女のドロドロした情念の世界が展開され、エロティックというよりもむしろ、「怖い」です。

『そのノブは心の扉』劇団ひとり 文藝春秋

ある意味こちらも、「読まれるのが恥ずかしい」本です(笑)。劇団ひとりが、自分の「自意識過剰な生活」を振り返り、「情けない自分」をさらけ出しています。誰しも多かれ少なかれ、似たような「情けなさ」を抱えながら生きている。でも劇団ひとりに比較すると、自分の「情けなさ」は大したことがないように思えて、また明日から勇気を持って生きていける、そんな気がします(笑)。

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2008年4月14日 (月)

『男は3語であやつれる』『女は3語であやつれない』

はじめに断っておきますが、僕が週末これらの本を一心不乱に熟読していたわけではありませんからね。しかも、決して他人様を「あやつろう」、なんて考えているわけではありませんからね。あしからず(笑)。

『男は3語であやつれる』伊東明著 PHP研究所

結局、男はプライドをくすぐればイチコロ、という本です(笑)。かなり売れた本なので、買った方も多いのではないでしょうか。一応何章かに分かれてはいますが、男の場合はとにかくシンプル。「プライドをくすぐる」「気持ちよくさせる」言葉のオンパレードです。「男をあやつる」言葉。面白いので、羅列してみますね(笑)。

「すごーい」

「頼りになるー」

「貴方の目はごまかせないわ」

「やっぱり○○さんじゃなきゃ」

「大人は違いますね」

「○○さんみたいな人、なかなかいないですよ」

「ドキドキするー」

「大胆ですねー」

「やさしいですね」

「陰で努力してるんですね」

「○○さんなら大丈夫ですよ」

「島耕作みたいですね」

「ありがとう」

女性にまっすぐ目を見られて、こんなコト言われたら、「むははは!もっと言って、もっと言って!」ってのは、僕だけじゃないはずです(笑)。バカなんですね、結局男って。

『女は3語であやつれない』伊東明著 PHP研究所

逆に女性の場合は、事がそんなにシンプルじゃない。物事の捉え方が人によって千差万別だから、「3語ではあやつれない」わけです。でも分からないからって、恐れていてはいけない。そもそも女性と男性では、言葉に対する感受性が違うから、そこを知った上で、いいコミュニケーションをしましょう、という男性向けの本ですね。

●男が戸惑う「恐怖の言葉」

「ねぇ、ちょっと話があるんだけど」

「どうして黙っているの?」

「なんで相談してくれなかったの?」

「誰といたの?」

「最近○○してないよね」

●女性を敵に回す「地雷の言葉」

「女のくせに」

「なんでそんなことに悩んでんだよ」

「そんなの自分で決めろよ」

「だってほら○歳なんだから」

「ほんとバカだな」

「要するに何?」

●これであなたもジェントルマン←(笑)

「今日は楽しかったね」

「ずっとがんばってきたもんね」

「いつでも相談にのるよ」

「オレが悪かったよ」

「素敵だね」

「ありがとう」

女性から言われて戸惑う(どうゆう意味だろう?と考えさせる)、「恐怖の言葉」って確かにあるし、何気なく言ったらいきなり怒られる「地雷の言葉」もあるもんなぁ(苦笑)。そもそもは、性差によるコミュニケーションの違いがベースになっていて、女性は「共感」、男性は「プライド」。でも、どっちも最後の言葉は、「ありがとう」という感謝の言葉であるあたりが、美しいですな。

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2008年3月24日 (月)

『サッカー番長』『4-2-3-1』

『サッカー番長 ヨイショ記事にはもう飽き飽きだ』杉山茂樹 飛鳥新社

サッカーが世界で最も愛されているスポーツなのは、知識があるなしに関わらず、誰もがサッカーのことを「語れる」から。「サッカー日本代表岡田ジャパン」なんつったって、しょせんサッカーなんだから、「俺はこう思う」って言っていいわけで、日本のヘタレサッカージャーナリズムでは言えない、言わないことも、「サッカー馬鹿」として言っちゃうよ、という本です。

かなり過激な内容まで含んでいて、オシム後に「彼しかいない」と言われて生まれた「岡田ジャパン」に対する不安を、ストレートに書いています。他にも、「サッカー馬鹿」としてラインナップされている、松木安太郎、原博美、宮本恒靖、岡野雅行、元毎日新聞の荒井義行各氏などのインタビューが素晴らしい。この「サッカー馬鹿」たちが、何を考えサッカーに打ち込んでいるかを、何でも美談にしてしまう日本のスポーツジャーナリズムとは違った視点で書いています。

以前杉山茂樹さんから、日本サッカーについての話を聞いたことがあって、その時彼は、日本のサッカーがもっと強くなるために、協会やJリーグや監督や選手のレベル向上以外に、日本のサッカーファンやサポーター、そしてサッカージャーナリズムがもっと勉強して、代表やJリーグのクラブに対して、強くモノを言わなければいけない。地上波で観られるガチンコのサッカー番組がないのはおかしい!と熱く語ってくれました。『サッカー番長』の中で杉山氏は、「かぶりもの」して自分をキャラ化していますが(笑)、ある種照れ隠しなんでしょうが、日本サッカーに対する想いは、本当に熱い人だと思いました。

『4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する』杉山茂樹著 光文社新書

「サッカー馬鹿」と対をなすカタチで同時期に出版された、こちらはサッカーを「知性」で語る本。なぜ杉山氏が、例えば岡田ジャパンに対して厳しい意見を言えるか、そのバックボーンになっているサッカーの戦術を語っている本です。

杉山氏はこれまで17年間にわたり、ヨーロッパをはじめとする世界各国でサッカー観戦をしてきた。そして観戦だけじゃなく、試合後、監督や選手からいろいろな話を聞くうちに、ひとつの結論に達する。それが、「サッカーは布陣でするもの」という考え。もちろん、チームを構成する選手の個性と、監督が繰り出す戦術との掛け算が大切なのは言うまでもないけれど、その時代その時代で新しく編み出され、進化していくサッカーの戦術というものを、最前線で理解しているかどうかが大切なのだ。日本という国はサッカーの僻地であるから、絶えずヨーロッパなどのサッカー先進地域に目を配っている必要がある、と語っています。

サッカーを観る、語る上で、この本は実に参考になります。3バックと4バックぐらいしかわからないようじゃダメですね。4-2-3-1と3-4-1-2の差を、ちゃんと語れるぐらいじゃなきゃ、サッカー好きCDを名のれませんね。

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2008年3月17日 (月)

『スティーブ・ジョブズ』『明日の広告』

『スティーブ・ジョブズ 偉大なるクリエイティブディレクターの軌跡』林信行 アスキー

スティーブジョブズは偉大なクリエイティブディレクターである。

彼は単なる技術者でもビジネスマンでもプレゼンテーターでもない。後書きはこうにある。「いつも新しい世界を築いてきた偉大なるディレクターであり、プロデューサーであるスティーブジョブズ。彼の強さは、優秀な人材を一堂に集め、そこから無限大の化学反応を引き起こす触媒(カタリスト)としての能力の高さである。そして、その化学反応を誘発するのが、彼のウィットに富み、洞察の深い(言葉)なのではないか…。」彼は、自分が一番素敵だと思える未来を、自分の言葉で語る。他人からすれば、その未来は実現不可能に思えること。しかし、ジョブズは諦めない。前述のような優秀な人材を集め、魔法の言葉を駆使して、彼らから最大限の力を引き出し、不可能と思われた未来を現実にしていく。

スタンフォード大学の卒業生へ向けてのジョブズのスピーチに(今では名スピーチと呼ばれている)、こういう一節がある。「今日が人生最後の日だとして、今日これからやりたいことは本当にやりたいことか?もし、何日もの間、(NO)という答えが続いたときは、何かを変えなければならない」

クリエイティブディレクターは、人のココロを動かす言葉を持たなければいけない。

『明日の広告』 佐藤尚之 アスキー新書

コミュニケーションの環境変化、求められる新しいコミュニケーションデザイン、その組み立てと方法論、プランニングをリードするコミュニケーションディレクターのありかた、などについて言及している。サトナオさん本人が言っている通り、もうあちこちで語られ尽くしている内容なので、特に目新しいことはないけれど、「総集編」として読んでおく必要あり。あちこちのクライアントから、「読みましたか?」と聞かれる状態がいまだに続いています。現状、「宣伝部長の必携書」化してます。広告会社社員として、読んでないとヤバい感じ。

僕が会社で言っていること、このブログでも書いていること、そういったことが本になってまとまっていて、『明日の広告』というタイトルも、このブログのサブタイトル「新しい朝がきた~♪」とも微妙にかぶっていて(笑)、自分が書いた本でもないのに、何か不思議な感覚を覚えました。でもサトナオさんは凄いです。たくさん仕事している上に、ゴハンもちゃんと食べていて、本まで書いちゃう。

優秀なコミュニケーションディレクターが何人いるか、それが広告会社の命運を左右する。

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2008年3月 9日 (日)

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』森真一 ちくまプリマー新書

部下に対して僕は、よっぽどのことがない限り怒ったりしない。それは直すべき点を、部下が自分自身で気づき、自ら改善しようとしない限り、上司が怒っても根本的に何の意味もない、と考えているからだ。だから、気づきにつながるような言葉をかけることは、たまにあるけれど…というか、日々の仕事の中で、「怒る」「叱る」に繋がることがそもそも少ないし、お世辞でもおべんちゃらでもなく、部下はみんな能力が高く、前向きに仕事に向き合ってくれている、と感じているから、「怒る」「叱る」必要があまりなかったのだ。しかしこの本を読むと、もしかしたら僕はこれまで「怒る」「叱る」ということを、時代の空気の中で、無意識のうちに避けていたのではないか、と思えてくる。

本当にその人のことを思い、その人の将来に良かれと思ってかける言葉が、時にその人を傷つけてしまうことがある。しかしその人を本当に思っているのであれば、傷は時とともに癒され、その人の心に何かを残すはずだ。この本で言う、「やさしい厳しさ」である。

しかし今の日本には、こういった「やさしい厳しさ」とは違う、「過剰なやさしさ」が蔓延しているという。

「怒る」「叱る」「注意する」ことで、相手を傷つけることを恐れ、あえて何も口にしない。その場の仲間関係を楽しく保つことが、何より優先されるから、「KY」(空気をよむ)ことだけが大切になってくる。「私、○○が好きかもー」という、自分の意思なのに語尾を曖昧に終わらせる奇妙な文章も(今ではそれほど奇妙に感じないが)、相手との決定的な対立を避けるために考え出せれたものらしい。グループの中に「キャラ」をつくって、安定的な関係性をつくるのも、誰もが傷つかないための知恵だと言う。

この本では、関係性を楽しく保つための、こういった「人を傷つけないやさしさ」が悪い、と決め付けているわけではない。時代とともに社会の価値観は変化し、人間の関係性も変わっていく。どんどんやさしい時代は進んでいくのであるが、しかし、表面的に人を傷つけたくないという、あまりにも「過剰なやさしさ」が、人間の「本質的なやさしさ」を奪ってしまう「こわさ」に、着目しているのだ。

場の空気が悪くなっても、言わなきゃいけない時は、言わなきゃなぁ。摩擦がないからいい関係、ってわけじゃないしね。

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2008年2月18日 (月)

『セレンディピティ』

『セレンディピティ』 宮永博史 祥伝社

「偶然をとらえて、幸福にかえる力」を「セレンディピティ」と言います。

「広辞苑には、次のような説明があります。(セレンディピティとは)おとぎ話『セロンディップ(セイロン)の3王子』の主人公が持っていた、思わぬものを偶然に発見する力。幸運を招きよせる力。」

もともとは、技術開発や研究開発の現場で使われてきた言葉のようですが、ここへきて、それ以外のビジネスの場でも使われるようになってきた。僕なんかが思うに、クリエイティブディレクションとは、まさにこの「セレンディピティ」をどう掴むかに尽きるな、と思うわけです。タイトルを読むだけで内容は想像できると思うので、関係ありそうなタイトルを、ちょっと長くなりますが、列挙してみますね。

 失敗のあとからやってくる「セレンディピティ」

 地味な作業を来る日も来る日も続ける

 小さな変化を見逃さない

 「たまたま」の大切さ

 セレンディピティは、たまにやってくる気まぐれな小人さん

 幸運はみんなのところに同じように降り注ぐ

 当たり前のことを当たり前に実行する

 「無関係なもの」を関連づけてみる

 異分野のプロを集めろ

 「素人発想」プラス「玄人実行」が有効

 「こんなことができたらいいな」から始める

 「想定外」のことを考えていることがはるかに有効

 「見えざる顧客」を見つけたものだけが生き残る

 他の人には見えない宝物に気づく人

 「邪道」が暗礁に乗り上げた研究を救う

 偶然のひらめきをモノにする翻訳力

 誰かが見つけてくれるのをじっと待つ宝物

 毎月20ジャンル、20冊の読書

 コミュニケーション能力を磨くロジカルシンキング

 予測するということは、変化に気づくということ

 社員の絆が、組織のセレンディピティを生み出す  

僕らクリエイティブディレクターは、お得意先から大きな課題を与えられ、それを解決するために、各方面の専門のスタッフを集めます。いまどき、CM1本で解決される課題なんて、少ないですもんね。会議では、それぞれの専門性のもと、いろいろな角度から、たくさんのソリューションが提案されます。提案のひとつひとつは、まだまだ可能性の芽だったり、なにか少し物足りない感じだったり、微妙に芯をはずしていたりします。もちろん、煮ても焼いても食えないアイディアもある。そこに集まる有象無象のアイディアを組み合わせ、融合させ、化学反応を繰り返しながら、「最終的な成功の物語」をつくっていく。クリエイティブディレクターというと、何となくセンスが求められて、感覚的なことだけ言っているイメージがあるかもしれませんが、まったくもって逆。全スタッフが納得するような、論理的にも筋の通ったことが言えなければ勤まらないし、ファシリテーション能力も求められる。そして、この本で言う「セレンディピティ」が、とても重要なんです。

ものより、ものを見る目。

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2008年2月 3日 (日)

『四畳半神話体系』『ホルモー六景』

『四畳半神話体系』森見登美彦著 太田出版

ちょっとした決断によって、人生は大きく左右される、か?否。どんな決断をしようが、案外と、同じような人生を送るんじゃないの(笑)、というお話。(以下、ネタバレ注意→)多くは語りませんが、第3章まで読んで、「なんだまた同じかよ」と思い、「もういいよ」と第4章を諦めることで、多くの読者が大きな後悔をしていることでしょう。騙されたと思って最後まで読むと、意外にコクのあるお話に遭遇できます。森美登美彦氏が繰り出す「小技」のファンとして、この本かなり好きです。 

森見登美彦氏はブログまで面白い。客観的な立場で、「森美氏はこう言った。こう感じている。」などと記述しているが、本人であることは明白(笑)。http://d.hatena.ne.jp/Tomio/

『ホルモー六景』万城目学著 角川書店

万城目(まきめ)学氏のヒット小説『鴨川ホルモー』のスピンオフストーリー。何百年も伝わる「ホルモー」という謎の行事をめぐる、荒唐無稽なお話なんだけれど、よくできたラブストーリーだったりもして、僕は単純に楽しめました。(以下、ネタバレ注意→)5話目かな。本能寺の変に遭遇する若い武士と、イケてない女学生との時空を超えたラブストーリーには、ちょっと泣けましたし。玉木宏主演のテレビドラマ『鹿男あおによし』も、万城目氏の作品(直木賞候補になったっけ?)ですね。

2作品とも、京都を舞台にした大学生のお話です。どちらもファンタジー小説と呼ばれる、実際には有り得ない、ある種「アホらしい」お話。でも、京都を舞台にすることで、この「アホらしい」お話も、なにか深みのある、重みがある小説に感じられるから不思議です。「大量の黒い蛾の大群が、糺の森(ただすのもり)あたりから飛来する」から、深い話になるのであって、「代々木上原あたりから飛来した」りすると、ちょっとおしゃれになっちゃったり(笑)、蛾の色もシロかったり(わぁ、キレイ)。

こたつで日本酒などをやりつつ、(笑)つつ、ページをめくりつつ、「アホらし」とつぶやく幸せ。外は雪だし。

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2008年2月 2日 (土)

『センセイの鞄』『人は思い出にのみ嫉妬する』

『センセイの鞄』川上弘美 平凡社

居酒屋で出会った、高校時代のセンセイに恋する物語。WOWWOWのドラマにもなった川上弘美のヒット作です。主人公は今で言う、「おひとりさま」を楽しむ、恋にはちょっと不器用な、40歳を目前にした女性。お酒の飲み方やつまみの趣味が似てる、そんなところから、なんとなくセンセイのことが好きになっていく。その恋は淡々としていて、若者の恋のように焦るわけでもなく、ゆったり静かに深まっていく。亡くなった奥さんに対するセンセイの思いまで、大切にしようとする主人公。逆に、自分の人生が残り少ないことで、主人公を悲しませるのではないかと、心配するセンセイ。今、目の前にいる相手のことだけじゃなく、相手の過去や未来をも大切にしようとする、そんな大人の素敵な恋が描かれています。

『人は思い出にのみ嫉妬する』辻仁成 光文社

一方こちらの小説で描かれているのは、人を愛するが故に、その人の過去(他の人との思い出)に嫉妬してしまう、ある意味非常に子供っぽい恋愛。実際にあった知人の話を脚色して書いた、と著者があとがきで語っています。ドロドロの4角関係の結末は、自殺1名、自殺未遂1名、サナトリウム療養1名、というかなり悲惨なものです。「人を好きになるのは、その人の思い出になりたいからよ。自分の魂を相手の心の中に預けるということは、つまり、率先して、思い出になる、ということでしょ。その人のいい思い出になることができれば、人は永遠を生きることができる。たとえ早くに死んだとしても」この言葉は、好きな人を残して自殺しちゃう女性の言葉。一見理屈が通っているようで、実はとても自分勝手な考え。勝手に思い出を押し付けられて、残された人はどうなる?『センセイの鞄』のふたりを見習いなさい、と突っ込んだ広告深夜族であった。

「思い出は厄介だが、人間が死ぬまで持ち続けることの出来る宝物である」

思い出が宝物になるかどうかは、その人たち次第。

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2008年1月20日 (日)

『ひとりで、居酒屋の旅へ』

『ひとりで、居酒屋の旅へ』太田和彦 晶文社

資生堂のアートディレクターだった太田さんの居酒屋本。東京の名居酒屋の紹介だけでなく、自分が生活してきた町や、日本全国のいろんな旅について語っています。カバーに、こんなコピーが。

  町を歩こう。町にはいろんなものがある。

  居酒屋に入ろう。うまい酒と肴が待っている。

  旅に出よう。ひとり旅だ。

  そうして、居酒屋に入ろう。

  至福のときの、はじまり、はじまり。

先週、夜の中野の町をひとりで歩いた。中野は、僕が住んでいる阿佐ヶ谷から新宿寄り、二つ先の駅。いわば地元と言っていい。僕が大学生の時は、高田馬場、新宿、中野、高円寺あたりで遊び呆けていたし、サンプラザやブロードウェイにも何度か行っているし、娘が通っていた幼稚園が中野にあったから、毎朝送っていってた。自分とは、割となじみの深い町だと思ってた。ところが夜の中野が、あんなにディープな(楽しそうな)町だったとは!知らなかったぁ…なんて、もったいない。

最近こういうことが多い。

京都…以前、京都には親戚がいて、何度か案内されて行ったんですね。お寺さんやら祇園やらお茶屋さんやら。でもね、何を見ても、「ふーん、京都やね」ってなもんで、あまりココロ動かなかった。今から思うと、自分がまだ京都を欲していなかった。ところが、昨年何冊か小説を読んで、一気に京都にハマり、「京都って、すごい…」なんて思い始めた時、親戚は鎌倉に引っ越していて…ああ、もったいない。

神楽坂…大学生のとき2年間住んでいたんですよ。新潮社の裏のあたり。しかも、神楽坂の途中にある洋食屋さんで、アルバイトまでしてた。でもね、その後、いろいろな本で神楽坂の特集なんかを見て、風情のあるいい町だなぁって。でも、自分が住んでいたのに、神楽坂のことに何も知らないことに気づいたんです。もちろん神楽坂ならすぐ行けるから、その後、石畳の小道なんかは歩きましたよ。渋い焼き鳥屋さんにも行きました。でも、大学生のあんなに時間があった時に、神楽坂を満喫しなかったなんて…ホントもったいない。

そしてわが町、阿佐ヶ谷…これはブログにも先日書いたんですが、阿佐ヶ谷にはいい居酒屋が目白押し。居酒屋ファンに言わせると、実に羨ましい場所なんです。超有名店もあるし、玄人受けするお店も多い。でも、10年以上住んでいて、居酒屋なんてほとんど行ったことなかった。店名は書きませんが、昨日もすごい焼き鳥屋さんに行きました。うまかったぁ。

他にもこういったことが沢山あって…結局、自分側の問題なんですね。中野や京都や神楽坂や阿佐ヶ谷には何の落ち度もなくて(当たり前か)、自分側にその良さを見る目が開いていない、見る目がない、ということなんですね。『ひとりで、居酒屋の旅へ』を読んで思ったのも、まさにそういうこと。素敵な「町」も「居酒屋」も「酒」も「料理」も「旅」も、ずっと前からそこにあって、これからもそこにあり続ける。それにいつ気づき、いつ出会うかは、それこそこちら側の問題で、「気づこう」「出会おう」とすれば、素敵なことは向こうからやってくる(受け売り)。

もうすぐうちの会社が、芝浦田町から引越します。10年以上過ごしたんですから、ちゃんと田町を満喫してから(具体的には、焼肉「精香園」、中華「明輝」、餃子「大連」、沖縄料理「アダン」あたりを満喫することかな)、後で後悔しないように、引越したいものです(笑)。

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